備後・茶臼城(びんご・ちゃうすじょう)
●所在地 広島県世羅郡世羅町大字下津田字中陰地
●築城期 鎌倉末期か
●築城者 備後山内氏
●城主 山内通氏・山内首藤三郎通継
●高さ 標高400m/比高60m
●指定 世羅町指定史跡
●遺構 郭・土塁
●登城日 2010年6月16日
◆解説(参考文献『日本城郭大系第13巻』等)
備後・茶臼城は、前稿「黒川明神山城」から約3キロ弱北に向かった茶臼山に築かれた山城(丘城)である。
付近の山城としては、南の黒川明神山城よりも、北方に聳える「津田明神山城」の方が近い。
【写真左】茶臼城
現地には「茶臼神社」という社が祀られている。
山内首藤家一族
築城期・築城者は不明ながら、地比荘(じびのしょう)甲山城の山内首藤家一族である津田地頭山内通氏や、山内首藤三郎通継が城主として伝えられる。
甲山城はまだ投稿していないが、山内氏が備後の地に入部したのが、正和5年(1316)といわれているので、鎌倉末期である。
築城期・築城者を不明としているが、おそらくこの備後山内氏一族の地頭山内通氏らがそのころ築城したと思われる。
【写真左】道路脇に立つ石碑
登城道手前を走る道路は、地元の生活用道路で大変に狭い。
写真は茶臼城東麓に設置された石碑で、車で走っていると、見過ごすかもしれない。
「史跡 茶臼城跡
昭和61年10月20日 町指定史跡
世羅西町教育委員会」と刻銘されている。
【写真左】登城路
生活道路と三叉路のような位置になっているが、写真にみえる道路は軽トラックなら可能かもしれないが、乗用車では無理でここに停めて歩いて行く。
【写真左】茶臼神社と本丸
しばらく道なりに西に向かっていくと、茶臼神社(といっても祠程度だが)と、その後背に本丸が見える。
手前の平坦地はおそらく郭、もしくは馬場跡だったかもしれない。
神社となってからは、境内として使われていたような痕跡が残る。
【写真左】本丸・その1
北側の個所であるが、御覧の通り雑草が繁茂している。
【写真左】本丸・その2
土塁跡(1)
本丸の南から西にかけては土塁跡が点在している。
長さはかなりあるようだが、雑草などではっきりとは確認できない。
【写真左】本丸・その3
土塁跡(2)
土塁が西から南にかけて残り、北側が天然の要害となっているので、大手は東側となり、搦手が西側だったのだろう。
【写真左】切崖
本丸の北側に見えたところで、おそらく竪堀のようなものもあると思われる。
茶臼城は比高はさほどないものの、この場所からの高低差はかなりある。
【写真左】本丸跡に祀られている祠
本丸の規模は草丈が伸びているためはっきりしないが、凡そ15m四方と思われる。
ところで、覚悟はしていたが、茶臼城で相当藪蚊にかまれた。山城探訪は梅雨時には最悪のコンディションとなる。
しかし、目の前に山城が見えると、本能(いや、病気かもしれない?)がうずき、ついつい足を踏み入れてしまう。
本格的な登山をしている方からみれば、常軌を逸した行動に見えるかもしれない。
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