2011年7月19日火曜日

黒川明神山城(広島県世羅郡世羅町大字黒川明神山)

黒川明神山城(くろかわみょうじんやまじょう)

●所在地 広島県世羅郡世羅町大字黒川明神山
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 黒川左衛門
●高さ 標高535m/比高150m
●遺構 土塁・郭
●登城日 2010年6月16日

◆解説(参考文献『日本城郭大系第13巻』等)
 広島県の中央部三次市上田町から、南隣の世羅町にかけて、南北に明神山という同名の山が三つ点在している。

 北端の明神山は三次市上田町にあり、通称「上田明神山」(標高548.8m)、世羅町に入って津田にあるのが、通称「津田明神山」(標高593.1m)、そしてそこからさらに南へ3キロ余り下がった黒川にある山が、今稿でとりあげる「黒川明神山」(標高535m)である。
【写真左】黒川明神山城遠望
 南麓からみたもの












 三山とも山城であるが、詳細な記録はあまり残っていない。いずれも独立峰の美しい山容を持ち、「明神」と命名しているところを見ると、地元では昔から神の山として崇められてきたものだろう。

 さて、今稿の黒川明神山城周辺は、現在北麓に「せらにし青少年旅行村」という施設が開設され、周辺の道路も整備されている。

 登城したこの日、当該施設で当城の登城コースを教えていただいたが、「山城」という情報はほとんど知られていないようだ。

 黒川明神山城の築城期・築城者などほとんどなにも記録がないが、唯一城主が「黒川左衛門」という武将であったと伝えられている。
【写真左】登山口
 せらにし青少年旅行村の南、すなわち明神山北麓に最近できたような二車線道路があり、その途中に写真に見える案内板が設置されている。

 車は脇の広い所に停めておく。
【写真左】屋敷跡か
 しばらく登り坂が続くが、途中で写真のような平坦地が現れる。

 長径100m×短径50m程度は優にある。屋敷跡としては十分な広さだろう。
 礎石らしき石が点在している。
【写真左】最初に見えた郭段
 前段の屋敷跡らしきところを過ぎると、しばらくつづら折り状の階段を上る。

 全体に整備されているため歩きやすい。この写真は本丸が近くなった地点のもので、最初にこの郭が出てくる。

【写真左】上掲の郭
 幅10m弱×20m程度のもので、帯郭状の遺構である。

【写真左】下の郭から本丸を望む
 当然ながらこのあたりから傾斜がきつくなる。
この位置から左に回り込みながら向かう。
【写真左】本丸・その1
 北側から本丸にたどり着く。
【写真左】本丸・その2
 「黒川明神山頂 535m」とかかれた標識

 写真奥が西側になるが、高さ50cm~1m程度の土塁が残る。
【写真左】本丸・その3
 土塁
 長さは約15m前後か。ベンチが設置され西方を望むようになっている。
【写真左】切崖
 先ほどの土塁から西の方にかけては険峻な切崖となっている。
【写真左】本丸から北西麓に「せらにし青少年旅行村」の施設を見る

【写真左】本丸から東方を見る
 

【写真左】本丸から南東麓を見る
 眺望としてはこの方向が一番いいようだ。
【写真左】北東麓からみる
 登城口北を走る道路からみたもので、ドライブコースとしても気持ちのいいところである。

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