宍道政慶菩提寺・金沙山 広雲寺(こううんじ)
探訪日 2008年11月21日
住所 山口県萩市大字北古萩9番地
◆解説
宍道政慶の菩提寺は毛利氏が萩に移封された関係で、他の一族同様この萩市にある。
以下、縁起・由緒などは当院のHPより記す。宍道政慶の菩提寺は毛利氏が萩に移封された関係で、他の一族同様この萩市にある。
“もと龍昌院の塔頭であった妙雲院が明治5年に同じく塔頭の栄周院と合併し広雲寺と改称した。
龍昌院は輝元の側室児玉代(秀就生母)の菩提所として慶長10年に建立され、その法名の一部をとって周慶寺と号していた。
開山上人は是休上人、その後、秀就側室の菩提所とし、第4世円受代、寛文4年にその法名から龍昌院と改め第5世幡益代、寛文11年に類焼して堂宇焼失したが、第6世牛故代延宝2年に再建された。
文久年間に又焼失し廃寺となる。妙雲院は寛永年間に秀就の命により、宍道政慶の菩提寺として建立。
栄周院は寛永11年隠居所として創建。 ”
龍昌院は輝元の側室児玉代(秀就生母)の菩提所として慶長10年に建立され、その法名の一部をとって周慶寺と号していた。
開山上人は是休上人、その後、秀就側室の菩提所とし、第4世円受代、寛文4年にその法名から龍昌院と改め第5世幡益代、寛文11年に類焼して堂宇焼失したが、第6世牛故代延宝2年に再建された。
文久年間に又焼失し廃寺となる。妙雲院は寛永年間に秀就の命により、宍道政慶の菩提寺として建立。
栄周院は寛永11年隠居所として創建。 ”
◆なお、萩はご存じのとおり城下町であることから、武家屋敷区域の道は大変に狭い。
当院は町部の少し端の方になるが、車の場合、そこに行くまでの道が狭いので、一番良い方法は、観光客専用の広い駐車場へ停めて、あとは探索気分で歩いた方が安心である。
当院は町部の少し端の方になるが、車の場合、そこに行くまでの道が狭いので、一番良い方法は、観光客専用の広い駐車場へ停めて、あとは探索気分で歩いた方が安心である。
◆残念なことに、このお寺の門にも、境内にも一切「宍道氏」を説明するようなものがないので、探訪したとき、境内墓地に宍道氏の墓を見つけることが出来なかった(御住職も不在であった)。
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