2009年3月20日金曜日

斐川町新指定文化財「米原氏関連寄進状、棟札」講演その1

 2009年3月20日、島根県斐川町にある荒神谷博物館で、表記について、藤岡大拙氏による講演会が行われ聴講したので、その主な内容を記す。

 これは、講演会の前である3月5日に、地元新聞・山陰中央新報で、このことについて報じていたこともあって、興味をもち向かった次第。
 以下、当日の資料よりその内容を記す。

2009年速報展 斐川町新指定文化財 展示解説
―蓮台寺(れんだいじ)の寄進状・諏訪神社の棟札―

平成21年3月14日~4月12日
斐川町教育委員会


1、展示品名:  蓮台寺の寄進状 1通
          諏訪神社の棟札 4枚

2、展示品解説


蓮台寺の寄進状
 
●種別     :有形文化財(古文書)
 ●名称・員数 :蓮台寺の寄進状・1通
 ●所在地    :島根県斐川郡斐川町大字三絡324番地
 ●所有者    :蓮台寺
 ●概要
  高瀬城主の米原平内兵衛綱寛が、蓮台寺に土地を寄進したことを示す米原氏直筆の文書である。材質は唐紙、大きさは縦39.5㎝、横26㎝で、同じ唐紙に裏打ち後、再び軸装されたものである。

 所有者の南明山蓮台寺は、京都醍醐寺を本山とする真言宗で、開基創建の年紀・人名は不明だが、文治2年(1186)僧・高顕の中興との記録がある。
 本尊は木造十一面観音菩薩像で、像高36.0㎝、江戸時代慈覚大師の作と伝えられる。

 永禄年間(1558~1569)に、高瀬城主米原綱寛の祈願所となり、田畑(約2反5畝・米10俵相当)の寄進(永禄13年)があった。本史料はそのことを示すもので、今後維持管理をすることが記されている。
 約1000年前に花山天皇が出雲へ旅されたおり、33番観音霊場札所を定められ、当寺も6番札所となり多くの巡礼者でにぎわった。



●指定理由

 斐川町内で初めての中世文書として、稀少であるとともに、その保存状態が極めて良好である。米原氏本貫地のゆかりの文書として価値が高く、特に、米原氏直筆の文書として貴重である。




諏訪神社の棟札

●種別     :有形文化財(古文書)
●名称・員数  :諏訪神社の棟札・4枚
●所在地    :島根県簸川郡斐川町大字学頭591番地
●所有者    :諏訪神社

●概要
 高瀬城主米原氏が諏訪神社の創建以来、上棟に関わったことを示す史料である。
 材質、寸法は以下の通りである。
 もっとも古い1号棟札は、右側上部が欠損し、文字も肉眼では判読不明だが、赤外線撮影により判別できる状況である。2~4号棟札は、部分的に文字の薄れが見られるものの、保存状態は良好といえる。
 いまから60年ほど前の、昭和14年(1939)11月3日、諏訪神社本殿改築遷宮の大祭が執り行われた翌年、ときの福間徳丸宮司が「皇紀2600年記念村社諏訪神社由緒書」を編纂された。このたびの釈文は、このときの記録をもとに作成した。

 諏訪神社の主祭神は、有名な国譲り神話に出てくる建御名方神である。この神が当社に祀られたのは、天文年間(1532~1555)で、神社を創建したのは高瀬城主米原綱広である。綱広の子・綱寛も祭神として祀られ、3回にわたって上棟を執り行っている。

 諏訪神社は、明治になるまでは諏訪大明神と呼ばれ、享保2年(1717)に著された出雲地誌『雲陽誌』の出雲郡学頭項に「諏訪大明神 建御名方命なり、本社一間四面、拝殿二間に五間、勧請年代分明ならず、祭礼7月27日なり、天文8年造立棟札あり、古老伝に云高瀬の城主米原氏の建立なり」と書かれている。本棟札は、この史実を裏付けるものである。

【写真】学頭諏訪神社


 1号棟札   年号  天文8年(1539)
         材質  杉材
         寸法  長さ83.4㎝、幅11.1㎝、厚さ0.55㎝


 2号棟札   年号  天文22年(1553)
         材質  杉材
         寸法  長さ71.4㎝、幅6㎝、厚さ0.7㎝


 3号棟札   年号  永禄12年(1569)
         材質   松材
         寸法  長さ97.25㎝、幅12㎝、厚さ1.9㎝


 4号棟札   年号  文禄元年(1592)
         材質  杉材
  
       寸法  長さ67.9㎝、幅14.5㎝、厚さ1㎝

●指定理由

 斐川町内で初めての中世文書として稀少であるとともに、その保存状態が極めて良好である。米原氏本貫地のゆかりの文書として価値が高く、特に、米原氏2代にわたる棟札であり、史実を裏付ける資料として貴重である。

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