江津市誌など郷土史を調べれば、何らかのことが分かるかもしれないが、現地には何の説明板らしきものもなく、さびしく佇んでいる。
◆前回の足利直冬・慈恩寺の稿の際、直冬自身の墓石(宝篋印塔又は五輪塔など)が当寺に見えなかったことを考えると、この宝篋印塔はあるいは直冬のものかもしれない。
ただ、そうなるとなぜわざわざこの地にあるのか、という疑問もわく。直冬のものでないとすると、別の武将のものとなる。その場合、考えられるのは、この場所の近くに「埋築城」という城館跡(未訪)があり、記録によれば、康平年間(1058~1065)、和気清宗という武将が建てたとあり、その人物という可能性もある。
しかし、詳細には分からないが、宝篋印塔の年代形式から見て、この時代ではないような気もする。
また、宝篋印塔の手前周辺は建物が建っていたような礎石が見えるので、最近まで寺院が建っていたのかもしれない。
◆石造美術的なセンスは全くないが、多少の欠損はあるものの、その大きさや、形状などから、かなり名のあった武将のものであることは否定できない。
0 件のコメント:
コメントを投稿