福知寺(ふくちじ)
●所在地 島根県出雲市知井宮町
【写真上】福知寺遠望
◆神西城から北東へ直線距離で約4キロのところに、福知寺という寺がある。また、この寺の道路を挟んだ東側には中世の城館跡である「智伊館跡」がある。智伊館跡は、「城郭放浪記」氏が既に紹介しているのでそちらをご覧いただきたいが、この福知寺の開基についても、神西氏の関係した寺院である。
◆当寺の縁起のうち、関係分を下に記す。
◆神西城から北東へ直線距離で約4キロのところに、福知寺という寺がある。また、この寺の道路を挟んだ東側には中世の城館跡である「智伊館跡」がある。智伊館跡は、「城郭放浪記」氏が既に紹介しているのでそちらをご覧いただきたいが、この福知寺の開基についても、神西氏の関係した寺院である。
所領区域からいえば、このあたりになると、「古志氏」が絡んでくるが、当寺の開基ごろは小野氏(神西氏)が先に知行していたようで、智伊館の築城者といわれる「智伊氏」そのものも、小野氏の配下ではなかったかと思える。
◆当寺の縁起のうち、関係分を下に記す。
“貞応年間(1222年~)小野高通(神西竹屋城主で、後の神西氏を名乗る)は、霊夢によって、堂伽藍を建立し、境内を宏荘にして、小堂に安置されていた薬師如来を入仏して祀り、祈願寺と定めた。しかし、後年大火があり堂塔、寺宝一切を焼失し、再び小庵に帰したという。
その後、天正7年(1579年)7月、東来の旅僧・喜山浄慶大和尚が、一夜の霊夢に感応し、尊像を拝し、堂宇を再建して、福知寺開山第一世となった。
曹洞宗福知寺となって四百余年、徳川時代より、知伊の里人の尊い薬師信仰に支えられながら、法灯は連綿と受け継がれ、今日出雲十大薬師霊場第8番札所「真幸薬師(まさきやくし)」として、遠近の信仰を集めている。
境内の諸仏
お観音様 お地蔵様 お大師さま 裏山には、福知寺山横穴古墳群がある。
平成10年12月
神門クラブ”
その後、天正7年(1579年)7月、東来の旅僧・喜山浄慶大和尚が、一夜の霊夢に感応し、尊像を拝し、堂宇を再建して、福知寺開山第一世となった。
曹洞宗福知寺となって四百余年、徳川時代より、知伊の里人の尊い薬師信仰に支えられながら、法灯は連綿と受け継がれ、今日出雲十大薬師霊場第8番札所「真幸薬師(まさきやくし)」として、遠近の信仰を集めている。
境内の諸仏
お観音様 お地蔵様 お大師さま 裏山には、福知寺山横穴古墳群がある。
平成10年12月
神門クラブ”
【写真上】福知寺の裏山(北西部)から西に伸びた丘陵地と真幸ヶ丘公園
◆智伊館は城館跡となっているが、むしろこの福知寺から西に伸びた丘陵地(真幸ヶ丘公園)そのものが、山城ではなかったかと思われるような雰囲気がある。もちろん島根県遺跡データでは登録されていないが…
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