明けましておめでとうございます。
2008年12月29日という、その年も終りになってから立ち上げたこのブログも、足掛け4年目に入りました。
山城探訪した記録を公開するという行為は、それまですでに多くの方がやってきていることで、当初、二番煎じの感が無きにしも非ず、という気持ちでしたが、同じ山城でも探訪する人によって、興味を持つ部分や、着眼点に違いがあり、これはこれで、それなりの価値があるのではないかと思い、アップしてきました。
昨年(2010)は結果的に、121回の投稿を行いました。タイトルの「西国」という割には、山陰地方に偏っていますが、これは管理人の住んでいる場所と関連するために、どうしてもこうした結果となります。
特に後半は石見地方に特化した感じとなりました。このブログをアップするに当たって、参考にした文献は、専門家のように沢山は持ち合わせていません。
ただ、よく利用させていただいている「益田市誌・上巻」や「石見町誌・上巻」などは、管理人にとって、いわば「バイブル」のような存在で、これがなかったら、石見の中世山城は体系的に把握はできなかったと思います。
【写真上】佐和山城遠望
彦根城側から見る。(2008年9月)
◆「西国の山城」統計
さて、このブログのこの1年間の統計について記しておきたいと思います。
※データカウント開始時期、2010年の5月より
●参加者
日本 17,052
アメリカ合衆国 320
ラトビア 59
カナダ 37
オランダ 33
以下、フランス、チェコ共和国、イラク、スウェーデン、大韓民国など
●ページビュー
長宗我部信親の墓・戸次河原合戦(2010/3/10) 239
井野城(2010/9/02) 66
米山寺・小早川隆景墓(2010/06/15) 62
鷲尾山城(2010/5/09) 48
三隅城(2010/08/03) 43
丸屋城(2010/05/08) 39
引田城(2010/01/13) 38
以下、周防・若山城、別当城、楪城となっています。
サイトに関する技術的なことは、至って疎く、編集上のレイアウトなども、いまだに洗練されていません。
ところで、ブログ形式であったこともあり、上記のように、どの投稿が一番アクセスが多かったか、分かります。
また、このブログを見ている人は国内だけと思っていましたが、上記のようにアメリカ合衆国や、ラトビアなどといった外国からの人が予想以上にあることに驚きました。
そもそも「山城」そのものが、天守閣を持つ近世城郭に比べ、マイナーな存在ですので、正直言ってさほどの反響はないだろうと思っていました。ところが、蓋を開けてみると、このような結果で、管理人としては望外の喜びです。それだけ山城に対する認知度が高まってきているということでしょうか。
本年もどの程度探訪と、ブログアップができるかわかりませんが、体力と時間の許す限りこのブログを更新していきたいと思います。
トミー拝
2011年 元旦
2008年12月29日という、その年も終りになってから立ち上げたこのブログも、足掛け4年目に入りました。
山城探訪した記録を公開するという行為は、それまですでに多くの方がやってきていることで、当初、二番煎じの感が無きにしも非ず、という気持ちでしたが、同じ山城でも探訪する人によって、興味を持つ部分や、着眼点に違いがあり、これはこれで、それなりの価値があるのではないかと思い、アップしてきました。
昨年(2010)は結果的に、121回の投稿を行いました。タイトルの「西国」という割には、山陰地方に偏っていますが、これは管理人の住んでいる場所と関連するために、どうしてもこうした結果となります。
特に後半は石見地方に特化した感じとなりました。このブログをアップするに当たって、参考にした文献は、専門家のように沢山は持ち合わせていません。
ただ、よく利用させていただいている「益田市誌・上巻」や「石見町誌・上巻」などは、管理人にとって、いわば「バイブル」のような存在で、これがなかったら、石見の中世山城は体系的に把握はできなかったと思います。
【写真上】佐和山城遠望
彦根城側から見る。(2008年9月)
◆「西国の山城」統計
さて、このブログのこの1年間の統計について記しておきたいと思います。
※データカウント開始時期、2010年の5月より
●参加者
日本 17,052
アメリカ合衆国 320
ラトビア 59
カナダ 37
オランダ 33
以下、フランス、チェコ共和国、イラク、スウェーデン、大韓民国など
●ページビュー
長宗我部信親の墓・戸次河原合戦(2010/3/10) 239
井野城(2010/9/02) 66
米山寺・小早川隆景墓(2010/06/15) 62
鷲尾山城(2010/5/09) 48
三隅城(2010/08/03) 43
丸屋城(2010/05/08) 39
引田城(2010/01/13) 38
以下、周防・若山城、別当城、楪城となっています。
サイトに関する技術的なことは、至って疎く、編集上のレイアウトなども、いまだに洗練されていません。
ところで、ブログ形式であったこともあり、上記のように、どの投稿が一番アクセスが多かったか、分かります。
また、このブログを見ている人は国内だけと思っていましたが、上記のようにアメリカ合衆国や、ラトビアなどといった外国からの人が予想以上にあることに驚きました。
そもそも「山城」そのものが、天守閣を持つ近世城郭に比べ、マイナーな存在ですので、正直言ってさほどの反響はないだろうと思っていました。ところが、蓋を開けてみると、このような結果で、管理人としては望外の喜びです。それだけ山城に対する認知度が高まってきているということでしょうか。
本年もどの程度探訪と、ブログアップができるかわかりませんが、体力と時間の許す限りこのブログを更新していきたいと思います。
トミー拝
2011年 元旦
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