2009年5月10日日曜日

丸子山城(まるこやまじょう)跡・島根県雲南市大東町大東

丸子山城(まるこやまじょう)跡 
◆登城日 2008年2月11日

●所在地 雲南市大東町 大東 丸子山 ●築城期 中世 
●遺跡種別 城館跡 ●築城主 和多田藤佐衛門
●標高 90m  ●遺跡の現状 公園
●備考 別名 和田山城、禿山城、童山城 ●遺構 一部破損

◆解説(参考:島根県遺跡データベースなど)
 所在地は大東町の街並み中心部の南東に位置する丘陵地で、現在「丸子山公園」となっている所である。この位置に立つと、東北西方面がよく見渡せ、前稿の「岩熊城」が北西方向約2キロに見える。
 詳細な記録は残っていないが、戦国時代後期のものとされている。
 また、和多田藤左衛門という人物が築城主とされているが、築城期が戦国時代後期であるかどうかはなんともいえない。手元にある史料にも同氏の名前が掲載されているものがないため、いつの時代の人物か不明。
 おそらく地元郷土史・大東町誌などには当城に関することが記されているだろうが、まだ同誌を見ていないのでなんとも判断がつかない。
【写真左】 丸子山城(丸子山公園)を北西側から見たもの この付近一帯が公園になっており、名称もこの地名をとり、丸子山公園という名称である。
 西の丘陵地も運動場を中心とした施設があり、北の眼下に大東の町並みが見える。
 現在の公園という形で大幅に改変されているようだが、外回りの地形を見る限り、当時の城郭としては中規模以上のものと思われる。

【写真右下】 公園の一番高いところにある忠魂碑。
 おそらく、この場所が本丸跡ではないかと思われる。

【写真左】本丸下の郭跡とみられる箇所
 城郭としての遺構がどの程度残っているか不明だが、場所によっては公園として余り地形を変えていないような箇所も見受けられる。

【写真左】東西方向ほぼ中央部に見える凹型郭?
 この中央部のくぼみが当時からのものか、公園整備の際改変されたものか分からないが、東郭部分に本丸を置き、西側には二の丸のような配置がされていたような形状が想像できる。
◆どちらにしても当城については、現地にも山城であったことを示す説明板のようなものもなく、また史料も乏しいため、いささか消化不良の感がぬぐえない。しかし、地理的な位置や、わずかに雰囲気を残す遺構を見た限り、山城としての機能は十分に果たしていたものと思える。

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