2013年10月3日木曜日

出石城(兵庫県豊岡市出石町内町)

出石城(いずしじょう)

●所在地 兵庫県豊岡市出石町内町
●築城期 慶長9年(1604)
●築城者 小出吉英
●城主 小出氏、松平氏、仙石氏
●形態 平山城
●高さ 56m(比高40m)
●遺構 稲荷郭、本丸、二の丸、三の丸など
●指定 豊岡市指定文化財
●備考 重要伝統的建造物群保存地区
●登城日 2006年9月16日及び、2013年6月13日

◆解説
 今稿は前稿有子山城(兵庫県豊岡市出石町内町)の麓に築かれた近世城郭である出石城をとりあげる。

 出石城を最初に訪れたのは2006年で、もう7年も前である。出石城の向背に聳える有子山城については把握していたが、この時の探訪は一般の観光客と変わらない出石の観光名所巡りだった。
【写真左】出石城
 西の郭付近から見たもので、向背の山が有子山城になる。








 
 現地の説明板より

“出石城跡

 出石城は慶長9年(1604)に小出吉英によって山頂の城を廃して築かれたもので、一国一城制による但馬唯一の城です。
 平山城に分類され、梯郭式といわれるように有子山の麓に、上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の郭三の丸と梯子を立て掛けたように城を築いています。
【写真左】登城橋
 西側に設置されている橋で、下の川が堀の役目をしている。
 橋を渡ると登城門があり、二の丸下の郭に繋がる。




 また東には、山里郭を設けて有事に備え、三の丸の周囲には山から堀切で水を引き、内堀をめぐらせ、北に大手門、東西にもそれぞれ東門、西門を設け、天守閣は築きませんでしたが、隅やぐらや多門を設けて要害としました。

 城主は小出氏が9代(100年)、松平氏1代(10年)、仙石氏7代(160年)と続き、明治の版籍奉還まで270年間58,000石の本城として、また但馬第一の雄藩として威容を誇りました。

 最上段の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祀り、本丸・二の丸には広壮な御殿を建て、渡り廊下で連結させていました。また本丸には仙石公の藩祖・仙石権兵衛秀久を祀る感応殿や、昭和43年に復元した東西隅やぐらがあり、往時の面影を偲ばせてくれます。
    出石町観光協会”
【写真左】二の丸
 二の丸は上下二段の構成となっており、下の郭の上をあがると、「上の部」といわれる郭がある。






出石の蕎麦

 全国にある城下町は、中世・近世の歩みをたどりながらそれぞれ特徴のある文化を引き継いでいる。その中でも出石の食文化としては「出石そば」が挙げられる。

 味覚オンチながら管理人にとって好きな食べ物の一つに蕎麦がある。初めて訪れたこの出石で食したのが「出石そば」である。当地のそばは、「三たて」製法による通称「出石皿そば」という。

【写真左】本丸・その1

 











 出石のそばは、江戸時代のお国替えによって誕生したとされる。上掲の説明板にもあるように、松平氏が宝永3年(1706)転封され、信州上田城主・仙石氏が入封した際、そば職人を伴なってきた。
 それまでも出石でそばは食されていたが、信州蕎麦の技法がそこに加わり、さらには陶芸の出石焼きも盛んになり、現在の白地の小皿に盛る形式が確立されたという。
【写真左】本丸東隅櫓













 一般的な「ざるソバ」や、管理人の地元にある「出雲そば」などの食べ方に対し、出石ソバは小皿に概ね一人5皿となっている。生前、ソバ通でも知られた噺家の五代目柳家小さん師匠が、汁(つゆ)にちょっとつけて、ソバをズルッと一気に吸い込み、ほとんど噛まずに食べていたが、管理人もこれに近い食べ方である。

 出石蕎麦は大変品の良いソバなのだが、普段から件の食べ方をしている者にとってはいささか間怠いかもしれない。しかし、品の良いソバだからじっくりと食してほしいという目的もあるかもしれない。
【写真左】隅やぐら
 昭和43年に復元されたもので、本丸西隅櫓である。
 手前の赤い鳥居は稲荷参道に設置されたもの。






仙石氏

 さて、この出石そばのきっかけをつくった仙石氏だが、もとは信濃上田の藩主である。宝永3年(1706)、幕府の命によって上田藩第3代藩主であった仙石政明(まさあきら)が但馬出石藩に移封された。

 この政明の系譜をたどると、秀久に至る。すなわち、以前紹介した長宗我部信親の墓・戸次河原合戦(大分県大分市中戸次)で、自らの無謀な作戦によって、長宗我部信親、十河存保(まさやす)を討死させた九州島津征伐の軍艦・仙石秀久である。この時の秀久の行動には敗戦後の対応にも批判が集まり、秀吉は一時所領没収や高野山追放など厳しい処分を下している。
 その後、小田原征伐が始まるころになると、家康からの執り成しもあって復帰し、戦功を挙げた。
【写真左】稲荷参道
 この上を登っていくと、前稿有子山城(兵庫県豊岡市出石町内町)の登城口に繋がるが、その反対側には下段の稲荷神社がある。



 出石藩祖である政明は、この秀久から数えて5代目に当たる。 

 仙石秀久以降の系譜
    1. 仙石秀久  1552~1614  信濃小諸藩初代藩主
    2. 仙石忠政  1578~1628  信濃小諸藩第2代藩主⇒上田藩初代藩主
    3. 仙石政俊  1617~1674  信濃上田藩第2代藩主
    4. 仙石忠政  1640~1667  家督を継げず28歳で夭逝
    5. 仙石政明  1659~1717  信濃上田藩主⇒但馬出石藩主
【写真左】稲荷神社
【写真左】出石町観光マップ

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