市川・飯盛山城(いちかわ・いいもりやまじょう)
●所在地 兵庫県神崎郡市川町屋形
●別名 屋形城
●高さ 216m(比高150m)
●築城期 不明(室町初期か)
●築城者 永良氏?、赤松兵部少輔晴政、高橋備後守政親
●廃城年 天正6年(1578)
●遺構 郭等
●登城日 2018年11月27日
◆解説(参考資料 「しそうSNS・E」等)
市川・飯盛山城(以下「飯盛山城」という)は、前稿まで紹介してきた鶴居城(兵庫県市神崎郡市川町鶴居) 及び播磨・谷城(兵庫県神崎郡市川町谷) 両城の東麓を南北に流れる市川の対岸にあって、所在地である市川町屋形地区の南西端に独立する標高200m余りの独立峰・飯盛山に築かれた城郭である。
現在当城の南から東にかけて播但連絡有料道路が走り、西麓は国道312号線が市川と併行して走る。
【写真左】飯盛山城遠望
西側から撮ったもので、この位置から見ると、優美な山容である。
なお、西麓側は国道312号線が走り、2級河川市川が並行して南流する。
ところで、タイトルにあえて「市川」を入れたのは、「飯盛山城」という城名は全国に相当数あることが知られおり、このため紛らわしく、さらには近接する南隣の福崎町にも「飯盛山城」(別稿で紹介予定)があり、混乱を避けるためである。
【写真左】飯盛山登山口
飯盛山は、その周りをぐるっと囲むように道がついている。
登城口はそのうち北側の一角にあり、西側から行くと、坂道になるが、幅員が広くなった箇所の一角に案内板が設置されている。
ここから城域まではおよそ400mと記されている。
飯盛山の規模は、およそ東西450m×南北400mの規模を持つ小山だが、西と東にそれぞれ頂部を持ち、城域とされる箇所は西側の216mの頂部を中心としたエリアである。
このため、東側の190m余の頂部には、天白稲荷大明神という祠が祀られており、東西両頂部間も直線距離で160m前後なので、当時は城郭としての役割を担った遺構もあったのかもしれない。
【写真左】鳥居
登城道は斜面が急峻であるため、九十九折りを何度か繰り返すコースとなっているため、さほど苦痛ではない。
しばらくすると、目の前に小さな鳥居が見えてきた。
【写真左】稲荷神社
先ほどの鳥居はこの稲荷神社を祀るためのものだろう。
小さな祠だが、定期的に氏子の方によって参拝されているようだ。
【写真左】尾根ピーク
さきほどの御稲荷さんを過ぎると、やがて東西に伸びる尾根筋にたどり着く。
この写真では右側が城域になる。
【写真左】簡易水道のタンクか
上ってきた斜面の反対側(南側)に人工物が見えたので、少しそばに寄ってみると、かなり古いタンクが設置されている。
どうやら以前この南側麓にある住民の方に供給されていたらしい水道タンクのようだが、周囲は鬱蒼とした樹木などで覆われていたので、現在は使われていないようだ。
【写真左】西の頂部に向かう尾根
鞍部となった尾根から東の方に向かうと、天白稲荷大明神があるようだが、この日は時間的に余裕がないため、このまま反対方向(西側)の主郭を目指す。
【写真左】岩で囲まれた虎口
尾根筋を辿る登城道は、主郭に向かって一気にきつい登坂となる。
ただ、幅は狭いものの、滑落するほどの傾斜ではない。しばらくすると、目の前に岩で囲まれた虎口が見えてきた。
【写真左】主郭・その1
主郭は岩の塊でできたような形状で、10m四方にも満たない不定形な小規模なものである。
【写真左】主郭・その2
主郭の北から西にかけては御覧のような岩塊があり、残り半分が人工的に削平された郭構造となっている。
鶴居城の支城か
前稿播磨・谷城 と同じく、鶴居城の支城として築かれたといわれている。
厳密にいえば、写真でも紹介しているように、谷城に比べ、明確な郭や堀切といった遺構があまり見られないことから、その目的はその位置から考えて、あくまでも監視を優先した物見櫓的用途として築城された可能性が高い。
【写真左】鶴居城遠望
主郭から北西方向に市川を挟んで本城とされる鶴居城を遠望する。
因みに、飯盛山城から鶴居城までは、直線距離でおよそ2.4キロほどになる。
【写真左】谷城遠望
同じく主郭から市川を挟んで、谷城を遠望する。
谷城と飯盛山城の間は、直線距離でわずか1.4キロほどなので、文字通り指呼の間である。
屋形構・下沢城
また、今回訪れていないが、飯盛山城から北へおよそ1キロほど向かった田んぼの脇に、「屋形構」という城館址があり、さらに市川を渡った沢の地区には、下沢城(「沢の構え」)などがあったことが知られている。いずれも赤松氏一族がかかわった城郭といわれている。
【写真左】飯盛山城から屋形構を遠望する。
●所在地 兵庫県神崎郡市川町屋形
●別名 屋形城
●高さ 216m(比高150m)
●築城期 不明(室町初期か)
●築城者 永良氏?、赤松兵部少輔晴政、高橋備後守政親
●廃城年 天正6年(1578)
●遺構 郭等
●登城日 2018年11月27日
◆解説(参考資料 「しそうSNS・E」等)
市川・飯盛山城(以下「飯盛山城」という)は、前稿まで紹介してきた鶴居城(兵庫県市神崎郡市川町鶴居) 及び播磨・谷城(兵庫県神崎郡市川町谷) 両城の東麓を南北に流れる市川の対岸にあって、所在地である市川町屋形地区の南西端に独立する標高200m余りの独立峰・飯盛山に築かれた城郭である。
現在当城の南から東にかけて播但連絡有料道路が走り、西麓は国道312号線が市川と併行して走る。
【写真左】飯盛山城遠望
西側から撮ったもので、この位置から見ると、優美な山容である。
なお、西麓側は国道312号線が走り、2級河川市川が並行して南流する。
ところで、タイトルにあえて「市川」を入れたのは、「飯盛山城」という城名は全国に相当数あることが知られおり、このため紛らわしく、さらには近接する南隣の福崎町にも「飯盛山城」(別稿で紹介予定)があり、混乱を避けるためである。
【写真左】飯盛山登山口
飯盛山は、その周りをぐるっと囲むように道がついている。
登城口はそのうち北側の一角にあり、西側から行くと、坂道になるが、幅員が広くなった箇所の一角に案内板が設置されている。
ここから城域まではおよそ400mと記されている。
飯盛山の規模は、およそ東西450m×南北400mの規模を持つ小山だが、西と東にそれぞれ頂部を持ち、城域とされる箇所は西側の216mの頂部を中心としたエリアである。
このため、東側の190m余の頂部には、天白稲荷大明神という祠が祀られており、東西両頂部間も直線距離で160m前後なので、当時は城郭としての役割を担った遺構もあったのかもしれない。
【写真左】鳥居
登城道は斜面が急峻であるため、九十九折りを何度か繰り返すコースとなっているため、さほど苦痛ではない。
しばらくすると、目の前に小さな鳥居が見えてきた。
【写真左】稲荷神社
先ほどの鳥居はこの稲荷神社を祀るためのものだろう。
小さな祠だが、定期的に氏子の方によって参拝されているようだ。
【写真左】尾根ピーク
さきほどの御稲荷さんを過ぎると、やがて東西に伸びる尾根筋にたどり着く。
この写真では右側が城域になる。
【写真左】簡易水道のタンクか
上ってきた斜面の反対側(南側)に人工物が見えたので、少しそばに寄ってみると、かなり古いタンクが設置されている。
どうやら以前この南側麓にある住民の方に供給されていたらしい水道タンクのようだが、周囲は鬱蒼とした樹木などで覆われていたので、現在は使われていないようだ。
【写真左】西の頂部に向かう尾根
鞍部となった尾根から東の方に向かうと、天白稲荷大明神があるようだが、この日は時間的に余裕がないため、このまま反対方向(西側)の主郭を目指す。
【写真左】岩で囲まれた虎口
尾根筋を辿る登城道は、主郭に向かって一気にきつい登坂となる。
ただ、幅は狭いものの、滑落するほどの傾斜ではない。しばらくすると、目の前に岩で囲まれた虎口が見えてきた。
【写真左】主郭・その1
主郭は岩の塊でできたような形状で、10m四方にも満たない不定形な小規模なものである。
【写真左】主郭・その2
主郭の北から西にかけては御覧のような岩塊があり、残り半分が人工的に削平された郭構造となっている。
鶴居城の支城か
前稿播磨・谷城 と同じく、鶴居城の支城として築かれたといわれている。
厳密にいえば、写真でも紹介しているように、谷城に比べ、明確な郭や堀切といった遺構があまり見られないことから、その目的はその位置から考えて、あくまでも監視を優先した物見櫓的用途として築城された可能性が高い。
【写真左】鶴居城遠望
主郭から北西方向に市川を挟んで本城とされる鶴居城を遠望する。
因みに、飯盛山城から鶴居城までは、直線距離でおよそ2.4キロほどになる。
【写真左】谷城遠望
同じく主郭から市川を挟んで、谷城を遠望する。
谷城と飯盛山城の間は、直線距離でわずか1.4キロほどなので、文字通り指呼の間である。
屋形構・下沢城
また、今回訪れていないが、飯盛山城から北へおよそ1キロほど向かった田んぼの脇に、「屋形構」という城館址があり、さらに市川を渡った沢の地区には、下沢城(「沢の構え」)などがあったことが知られている。いずれも赤松氏一族がかかわった城郭といわれている。
【写真左】飯盛山城から屋形構を遠望する。
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