2015年10月1日木曜日

下高城(広島県東広島市河内町宇山)

下高城(しもたかじょう)

●所在地 広島県東広島市河内町戸野祖利
●高さ 300m(比高90m)
●築城期 南北朝期か
●築城者 不明
●城主 上山氏か
●遺構 郭・竪堀等
●登城日 2014年5月8日

◆解説
 下高城は、前稿で紹介した安芸・障子嶽城(広島県東広島市河内町宇山)のおそらく支城と思われる城砦で、所在地は同稿で添付した地図にもあるように、障子ヶ岳城の南方約1キロの沼田川を眼下に見下ろす位置に築かれている。
【写真左】下高城遠望
 写真下は沼田川で、瀬野川福富本郷線(県道33号線)の脇に架かる橋から見たもので、西方から撮影している。
【写真左】沼田川
 右側が北を示し、下高城方面になる。なお、この川をさらに遡っていくと、福富町に至り、川は南から造賀川が、北は河内川(沼田川)に分岐する。


 また、同図でも記されているように、下高城よりさらに南に500mほど沼田川に近づく位置には、狐城という城砦も記されている。

 なお、同図には示されていないが、狐城とは別に沼田川から約700m程北進した位置に、飛戸城という城砦や、沼田川対岸の南側に山根城という城砦も現地の案内板にあったが具体的にどの山なのか確認できなかった。
【写真左】山根城か
 下高城に向かう前、上記の写真に見える橋を越えた南側に小規模な山が連なっているが、そのうち西側の川に最も接近した山が山根城と思われる。
【写真左】下高城・飛戸城に向かう道
 写真右側の道が沼田川と並行して流れる瀬野川福富本郷線で、矢印の方向へ下っていくと、小早川氏の居城高山城・新高山城に向かう。
 下高城はこの分岐点から北に分かれる枝線を進む。
【写真左】下高城登城口
 先ほどの道路を進んで行くと、左側に小さな案内板が設置してある。
 この箇所から登る。なお、この道路は当時堀切若しくは切通しのような形態であったと考えられる。
 駐車スペースはこの場所では幅員が狭いため確保できない。このため、少し進んだ峠当たりの空き地に停める。
【写真左】堀切
 現地はあまり手入れされていないため、写真では分かりづらいが、最初に小規模な堀切が見える。
【写真左】主郭の切崖
 北側から見たもので、登城するにはこの右側にある道を登っていく。
 なお、この写真の右側には数段で構成された郭が繋がっている。
【写真左】主郭に向かう。
 主郭はこの写真の左側にあり、この道はいわゆる犬走りになるのだろう。
【写真左】尾根にたどり着く
 写真は主郭方向と反対側の南側を見たもので、傾斜はあるものの削平された郭。
 この尾根を下がっていくと沼田川に出会う。
【写真左】主郭方面を見る。
 上の写真とは反対に、尾根上部に構成された郭段と先端部にある主郭がかすかに見える。
 当然ながら主郭に向かうにつれて尾根幅は狭くなっていく。
 この位置からも3段程度の郭段となっていることが分かる。
【写真左】主郭・その1
 「平成10年3月建立」と書かれた標柱が建っている。
 なお、標柱が建っている箇所は小規模ながら土塁のようになっているが、実際は櫓の役割をしていたのではないかと思われる。
【写真左】主郭・その2
 「下高城跡」と記されている。
【写真左】土塁
 主郭附近を一通り見終わったあと、再び下の段にもどり、西側に広がる削平地にはご覧のような明瞭な土塁が残っている。

 主郭を中心とした尾根の東側は急峻だが、西側はやや甘い傾斜のためか、こうした土塁が構築されたのだろう。


狐城

 なお冒頭でも紹介している狐城は、当城から南に約400m程下がったところに配されているが、おそらく当城は下高城と対となった城砦と考えられ、麓の沼田川周辺部における変事の際、相互に連絡し、上山氏の居城・田屋城や障子ヶ岳城へ伝達する役目を担っていたのではないかと考えられる。

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