2009年1月25日日曜日

槻下豪族居館跡及び槻下神社(鳥取県琴浦町)

槻下豪族居館跡(つきのしたごうぞくきょかんあと)、
                       及び槻下神社


●所在地 鳥取県琴浦町槻下
●指定  町指定史跡
●登城日 2008年2月3日

◆解説
現地の説明板より
“町指定史跡
 槻下豪族館跡
     (昭和49年5月1日指定)

 鎌倉時代の豪族(武士)の館跡で、二つの方形の屋敷跡が残っている。東側は、南北約40m、東西約30m、西側は、四方約40mで周囲に高さ約3mの土塁が築いてある。
 当時はこのような居館を館(たち)と呼び、周囲に土塁をめぐらし、堀を為すことを常としたので、堀の内・土居ともいった。
 土地の人は、今でも「おおぼれ」と呼び、周辺に「陣場野」「垣の内」「門田」などの地名も残っている。
  平成16年9月
    琴平町教育委員会”

【写真左】左が道路をはさんで南にある槻下神社、右の写真が槻下豪族居館跡
【写真左】豪族居館の左側半分
【写真左】豪族居館の右側半分

【写真左】豪族居館跡の内部・その1
 堀底が見える。
【写真左】豪族居館跡の内部・その2
 右側に土塁
【写真左】豪族居館跡の内部・その3













 居館跡すべてが孟宗竹のような竹が密集しているため、外からは中の状況が分からない。写真のように堀、土塁、虎口など遺構が良い状態で保たれている。

現地の説明板より
“町指定天然記念物
 槻下神社社叢
   (昭和60年1月1日指定)

 この社叢は、スダジイ・ヒメユズリハを高層に優先させる典型的な照葉樹林である。山地系樹種と海岸性樹種が混合、林緑を中心に先駆植物もあり、種類もたいへん豊富で、里部に残る貴重な自然林である。
〈特徴〉
1、山地系と海岸性の混合林
  山地系樹種 ウリハダカエデ・コマユミ・ヤマボウシなど
  海岸性樹種 イヌビワ・マサキヒメユズリハなど

2、先駆植物(林が古くなると消滅する)
  カラスサンショウ・アカメガシワヌルデ・ヤマハゼ

 暖地海岸性ヒメユズリハは、植物分布上北限と考えられる。ウリハダカエデなどの山地系樹種は、洪水時に流入したことが想像される。
 
  平成16年9月
      琴浦町教育委員会”
【写真左】槻下神社遠望
 境内は周囲の高さに比べて低い。
【写真左】槻下神社鳥居付近
【写真左】拝殿と本殿
 この日はかなり激しい雨が降っていた。
【写真左】小詞
 境内には本殿の他に、廻りが小濠で囲まれた小祠が祀られている。












◆この付近は写真でもわかるように、多少の起伏はあるものの、なだらかな平地が広がっていて、一般的な山城が存在する付近の景色とはだいぶ異なる。

 こうした平たん部に居館を設け、その周囲に丁寧な遺構(土塁、堀など)を残している形式のものは全国的にも例がないと思われる。ただ、居館周辺のこうした防御施設が、実際にどれほど効果があったものか疑問も残る。

◆相伝では、鎌倉時代に岩野弾正という武将の居城であったとされているが、築城期などは不明。

 この居館から南に約150m程度行ったところにあるのが、写真で示した「槻下神社」である。資料がないため、この神社の由来・縁起も不明だが、これだけ接近して建っていることから、二つの施設は何らかの関係があったのではないかと思われる。

◆なお、この付近にはこの場所から約1キロほど南に、山陰唯一の特別史跡「斉尾廃寺(さいのおはいじ)」がある。この寺は白鳳時代に建てられた法隆寺形式の寺院。

◆鎌倉時代ということになっているものの、この豪族館・岩野某が歴史上記録にほとんど出てこないのも不思議で、もちろん戦国期にも登場していない。

どちらにしても、なぞの多い城館跡である。

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