2013年6月26日水曜日

真庭市の宝篋印塔(岡山県真庭市田口)

真庭市宝篋印塔(まにわしのほうきょういんとう)

●所在地 岡山県真庭市田口
●種別 古墓
●形態 宝篋印塔
●建立期 不明
●指定 真庭市指定文化財 建造物
●探訪日 2011年8月5日

◆解説
 前稿まで紹介してきた出雲街道(国道181号線)沿いに、真庭市の文化財として指定を受けた宝篋印塔がある。
 所在地の位置については、あまり自信がないが、前々稿麓城から181号線を真庭市役所方面におよそ4キロほど南下した田口という場所である。
【写真左】宝篋印塔と五輪塔・その1












 道路の西側には太井ノ坂集会所があり、181号線は少しカーブして、その両側に東西を横断する旧道が走る。おそらくこの道が出雲街道ではなかったと思われる。

 宝篋印塔は、このうち東側に延びる旧道と181号線に挟まれた幅20mほどの丘状になった位置に建立されている。

 181号線を普通に走っているとなかなか分かりずらいが、秋から冬にかけた時期になると、周囲の樹木が枯れて、その隙間から一部を見ることができる。
【写真左】宝篋印塔と五輪塔・その2













 規模は高さ2m余りのもので中規模だが、特徴的なのは、中央部の「塔身」部に仏像が彫られていることである。今までこうしたものは見たことがなく、実に珍しい。

 宝篋印塔の傍らには、小規模な五輪塔が6~7基付き従うように並んでいる。おそらく殉死した家臣たちのものだろう。
【写真左】塔身部
 四面とも仏像が彫られている。
【写真左】周辺部
 写真中央部上に宝篋印塔が見える。

 下の道が旧出雲街道と思われる。手前に100m程度戻ると181号線に繋がり、逆にこの道を向うへ下っていくと、一旦新庄川を渡り、おそよ1キロほど進むと、再び181号線に繋がる。



首切峠

 ところで、この宝篋印塔のある個所から麓城のある美甘方面に2キロほど下っていくと、「首切峠」という箇所がある。

 初めて通った時、その名前に少なからずショックを受けたことを覚えている。その峠は、現在の181号線から少し逸れて、今ではあまり使われていないような細い道だが、この峠も当時の出雲街道のルートだったと思われる。
【写真左】この道を美甘方面に進むと「首切峠」に繋がる。











 この峠の由来については二つの説があるという。

  1. 江戸時代中期に勃発した美作地方における「山中一揆」という農民一揆で、多くの農民がこの場所でさらし首になったというもの。
  2. 戦国期における高田城主・三浦氏と出雲の尼子氏の戦いで、この地が古戦場となり多くの首級が残ったというもの。
 2.の説でいけば、本稿の宝篋印塔がすぐ近くにあることから、例えば「首切峠」で斬首、又は自刃した名のある武将が後にこの田口にある場所で手厚く葬られたとも考えられる。
 1.の「山中一揆」については、美作地方でかなり広範囲に拡がったもので、同国にはこのほか数か所に慰霊碑や墓などが残る。

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