蔀山城(しとみやまじょう)・その2
登城日 2008年8月25日、及び2011年11月13日
◆解説
本稿では、蔀山城周囲に残る城砦・館跡を中心に紹介したいと思う。
蔀山城の麓には、「居館跡」及び「堀越城」という丘城があったという。
また蔀山城の居館跡からさらに南に1キロ向かったところには、「保賀城」という郭数35枚、標高220mの山城が記録されているが、これも蔀山城の出城であった可能性が高い。
居館跡
蔀山城の南麓にあって、当城の南方に延びた丘陵上から平地にかけて造られたという。比定地は神之瀬川が南にぐるっと蛇行した北岸部とされている。
【写真左】居館跡・その1
国道432号線の北側の脇に「蔀山城址」と刻まれた石碑が建っている。
左側には当城の由来を記したものが建立され、写真の階段を上がっていくと、鳥居・祠が奥に祀られている。
この箇所は大手筋の麓にあたることから、すでにこの箇所には居館の一部があったものと考えられる。
【写真左】居館跡・その2
奥行は100m以上あり、幅も50m前後はあったものと思われるが、訪れたこの日(2008年)は夏であったこともあり、うっそうとした木立に囲まれ、雑草が伸びていたため、詳細は確認できなかった。
写真は奥から南側を振り返って見たもの。
【写真左】居館跡・その3
国道432号線より南側を見たもの。
現在この箇所は、土木建築会社の資材置き場のような施設が建ち、関係者以外は立ち入り禁止となっていたため、これ以上入っていない。
手前に国道432号線が走り、資材置き場のさらに奥を神之瀬川が蛇行している。
当然ながら、「居館跡」を示す標識などは設置されていない。
堀越城
居館跡からさらに神之瀬川を上り、国道432号線と再び蛇行した位置とされ、現在その場所は数軒の民家と畑地になっている。
【写真左】堀越城跡・その1
写真左は田圃になっており、その西方を神之瀬川が流れている。
城跡はおそらく、この写真の右側の高くなった丘陵地に築かれていたものと思われる。現在この丘陵上部は畑地となっている。
【写真左】堀越城跡・その2
北端部側からみたもので、高くなったところが城跡と思われる。
現在残る形状は、神之瀬川の蛇行に沿うように半円形状のもので、幅・奥行とも100m前後と思われる。
なお、この丘陵部の高さは、写真の道路面から約4m前後と思われる。
おそらく、当時は周囲の田圃は神之瀬川となっていて、堀越城はこの川を水掘りとしていたのだろう。
【写真左】堀越城跡から蔀山城を見る。
蔀山城の東面は切り立った岩肌が露出し、険峻な山容を見せる。
当然、この位置から攻め入ることはほとんど不可能である。
◆解説
本稿では、蔀山城周囲に残る城砦・館跡を中心に紹介したいと思う。
蔀山城の麓には、「居館跡」及び「堀越城」という丘城があったという。
また蔀山城の居館跡からさらに南に1キロ向かったところには、「保賀城」という郭数35枚、標高220mの山城が記録されているが、これも蔀山城の出城であった可能性が高い。
居館跡
蔀山城の南麓にあって、当城の南方に延びた丘陵上から平地にかけて造られたという。比定地は神之瀬川が南にぐるっと蛇行した北岸部とされている。
【写真左】居館跡・その1
国道432号線の北側の脇に「蔀山城址」と刻まれた石碑が建っている。
左側には当城の由来を記したものが建立され、写真の階段を上がっていくと、鳥居・祠が奥に祀られている。
この箇所は大手筋の麓にあたることから、すでにこの箇所には居館の一部があったものと考えられる。
【写真左】居館跡・その2
奥行は100m以上あり、幅も50m前後はあったものと思われるが、訪れたこの日(2008年)は夏であったこともあり、うっそうとした木立に囲まれ、雑草が伸びていたため、詳細は確認できなかった。
写真は奥から南側を振り返って見たもの。
【写真左】居館跡・その3
国道432号線より南側を見たもの。
現在この箇所は、土木建築会社の資材置き場のような施設が建ち、関係者以外は立ち入り禁止となっていたため、これ以上入っていない。
手前に国道432号線が走り、資材置き場のさらに奥を神之瀬川が蛇行している。
当然ながら、「居館跡」を示す標識などは設置されていない。
堀越城
居館跡からさらに神之瀬川を上り、国道432号線と再び蛇行した位置とされ、現在その場所は数軒の民家と畑地になっている。
【写真左】堀越城跡・その1
写真左は田圃になっており、その西方を神之瀬川が流れている。
城跡はおそらく、この写真の右側の高くなった丘陵地に築かれていたものと思われる。現在この丘陵上部は畑地となっている。
【写真左】堀越城跡・その2
北端部側からみたもので、高くなったところが城跡と思われる。
現在残る形状は、神之瀬川の蛇行に沿うように半円形状のもので、幅・奥行とも100m前後と思われる。
なお、この丘陵部の高さは、写真の道路面から約4m前後と思われる。
おそらく、当時は周囲の田圃は神之瀬川となっていて、堀越城はこの川を水掘りとしていたのだろう。
【写真左】堀越城跡から蔀山城を見る。
蔀山城の東面は切り立った岩肌が露出し、険峻な山容を見せる。
当然、この位置から攻め入ることはほとんど不可能である。
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