2012年3月28日水曜日

星居山の宝篋印塔(広島県神石高原町阿下)

星居山の宝篋印塔(ほしいやまのほうきょういんとう)

●所在地 広島県神石高原町阿下1091
●星居山高さ 標高835m
●建立時期 寛弘2年(1005)
●備考 孝徳天皇御陵所・性空上人御廟所
●探訪日 2011年11月3日

◆解説(参考資料「神石高原町HP」等)
このところ山城より墓石関係が続くが、今稿も備後(広島県)の神石高原町にある星居山頂上に建立されている宝篋印塔を取り上げることにする。
【写真左】宝篋印塔・その1
 星居山のほぼ頂部に建立されている。









現地の説明板より

“星居山と宝篋印塔


 郡内最高峰(835m)の星居山は、霊場として多くの名僧修験者の足跡を残している。
 孝徳天皇の御陵所であった。「宝篋印塔」は性空上人の廟所として、寛弘2年(1005)に建立、高さ2.4mで、石造物として由緒あるものである。
頂上から、晴天時には、北は大山、東は瀬戸大橋が見える。”
【写真左】星居寺の石碑
 星居山の頂部周辺には星居寺という寺院があったようだが、現在は無住のようだ。
 


ところで、星居山までは林道が整備されているが、管理人は北東側の油木から入り、カーナビに任せたところ、とんでもなく狭く、急坂急カーブの道を進む羽目になった。
県道259号線の南側からいい道がついているので、その方が安全である。
【写真左】星居寺本堂
 無住のようだが、時々上がってこられるようだ。


 









性空上人

性空(しょうくう)上人は、平安時代中期に活躍した天台宗の僧で、播磨書写山に入って修行し、円教寺を創建した。
36歳で出家した後、西国各地で山岳信仰を行っているので、この備後の星居山でも修行を行ったのだろう。

性空は寛弘4年(1007)に亡くなっているので、この宝篋印塔はその2年前に建立されたことになる。おそらく性空が当山を去ったのち、弟子たちによって建立されたと思われるが、この時期のものとしては規模も大きく、堂々たる風格を持っている。また、保存状態もよく、優美でさえある。

ただ、宝篋印塔という形態の墓石が建立され出したのは、概ね平安末期ごろからといわれているので、性空のように寛弘4年(1007)に亡くなっていることを考えると、少し疑問も残る。
【写真左】無線中継局の建物
 星居山は国有林になっているが、周辺は「星居山森林公園」として活用されている。






星居山

神石高原町も含め近在の山々のなかでもひときわ高い山で、独立峰であるが、往古天空より星が降るという現象が起き、それを聞いた時の天皇孝徳が、この地に滞在し、その体験からこの山を「星ノ居山」と命名したといわれている。

宝篋印塔のある頂上部を中心に、公園化され展望台やグラススキー場などアウトドア施設が造られている。
【写真左】展望台と宝篋印塔
 約200m程度歩いて登っていくと、ご覧の展望台が見えてくる。また、その脇には「宝篋印塔」が見える。

実はこの山に宝篋印塔が祀られていることから、当山に城砦遺構があるのかと期待していたが、公園化による造成工事もあって、そうした遺構は確認できなかった。

おそらく山岳信仰であったため、寺院跡の遺構しかなかったものと思われる。
【写真左】宝篋印塔・その2
 宝篋印塔や五輪塔などは、これまでおおむね城砦の麓などに建立されていることが多かったが、星居山のような頂部に設置されているものは珍しいと思われる。
【写真左】宝篋印塔・その3
【写真左】祠跡か
 近くに東屋のようなものがあるが、その手前には墓石か石碑のようなものがあったと思われる礎石が確認できる。
【写真左】展望台から西方を見る。
 展望台からは360度のパノラマが楽しめるが、この日は少し霞んでいた。写真は西方の上下町方面を見る。
【写真左】展望台から北方を見る
 道後山や帝釈峡などがこの方向にある。





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