2009年10月17日土曜日

日南町石見の宝篋印塔(鳥取県日野郡日南町中石見)

日南町石見宝篋印塔

●探訪日 2009年10月16日
●所在地 鳥取県日野郡日南町中石見

◆解説
 宝篋印塔や五輪塔は山城周辺によくみられるもので、遺骨が直接その場に埋葬されているとは限らないが、独特の石造墓石であることから、次第に山城探訪と併せて興味を持つようになってきた。

 今回取り上げる日南町は、鳥取県の西部に位置し、西に島根県(奥出雲)、西南に広島県(庄原市)、東南に岡山県(新見市)の3県と接する地域になる。このため、昔から地元・伯耆と出雲・備後・備中の交流が盛んで、中世・戦国期には合戦時の移動経路の一つであったことから、本城はもとより、砦・櫓といった小規模な要害施設が点在していたという。
【写真左】日南町石見の宝篋印塔その1
 形が非常によく、バランスがとれている。








 さて、日南町での宝篋印塔で有名なのは、同町北部・印賀にある「印賀宝篋印塔(鳥取県指定文化財)」が知られている(残念ながら、管理人は未だ実物を見ていない。)。製作年代は、1357年というから、南北朝期で、翌年には足利尊氏が没している時期になる。

 今稿取り上げる宝篋印塔は、同町南端部にある石見町の中石見地区というところにあるもので、8号線(新見日南線)とJR伯備線が平行して走っている脇に鎮座していたものである。

 周辺に同塔の説明板らしきものを探したが、何もなく地元の人による手入れがされている程度で、ひっそりとたたずんでいる。たまたまこの周りに地元の人もいなかったため、写真のみ撮影した。
【写真左】道路側から撮ったもの
 鎮座している場所は畑の縁にあり、その位置から斜め下の法面には、地蔵数体も置かれている。

 宝篋印塔と関係のあるものかもしれない。なお、写真左側が北(米子市方面)で、右側が南(新見市方面)になる。




 帰宅してから、この地区に関する資料を調査したところ、この付近にあった山城としては、是次城(これつぐのじょう)というのがあり、城主は、槌田四郎三郎某という。

 槌田某は、生山城(中石見から8キロ程度下った生山地区にある)の城主山名景行の家臣で、天文の頃、居住したという。

 このことから、今回の宝篋印塔は、槌田四郎三郎某という武将のものではないかと考えられるが、確証はない。
【写真左】その2
 この宝篋印塔の保存状態はすこぶる良く、欠損・摩耗などが少ない。

 おそらく地元で昔から大切に管理されてきたものだろう。
 大きさは、高さ1.5m位か。
【写真左】宝篋印塔の近くに鎮座する地蔵群
 地蔵群は、おそらくこの脇の道が街道であったことから、旅人を供養する目的で設置されたのかもしれない。

 しかし、宝篋印塔と地蔵群が接近しているので、案外関係のあるものかもしれないが、なんとも言えない。
【写真左】宝篋印塔の背後丘陵部
 史料がないため、確証はないが、是次城という城跡は、この付近までが城域ではなかったかと思われるような雰囲気があった。

 この写真も見ようによっては、廓段の一部にも見える。

【写真左】宝篋印塔のすぐ脇にある地元の公民館

0 件のコメント:

コメントを投稿