2020年4月11日土曜日

但馬・竹貫城(兵庫県豊岡市日高町竹貫)

但馬・竹貫城(たじま・たかぬきじょう)

●所在地 兵庫県豊岡市日高町竹貫
●高さ H:190m(比高:180m)
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 不明(竹貫氏か)
●遺構 郭・土塁等
●備考 水生城
●登城日 2016年12月18日

◆解説
 前稿水生城(兵庫県豊岡市日高町上石字コズ) からさらに尾根を伝って西に進むと、竹貫城が所在する。
【写真左】竹貫城
 水生城から竹貫城へ連絡する土橋付近









 水生城の主郭から竹貫城の主郭までの距離は直線距離でおよそ600mほどである。当城の縄張図は入手していないので詳細なことは分からないが、水生城のような3か所に遺構が分散したものではなく、基本的に三方に伸びる尾根筋を削平した郭群を基本としている。

 竹貫城と水生城の関係については、史料がないためはっきりしたことは分からないが、距離から考えて少なくとも戦国期における秀吉らの但馬進攻の際、何らかの接点があったものと思われる。
【写真左】竹貫城に向かう尾根筋
 ほぼ西方に向かう尾根筋だが、途中で少し南側に角度が変わっていく。








竹貫氏

 さて、竹貫城自体の歴史については、室町期の延徳2年(1490)と、永正8・9年(1511・12)に城主と思われる竹貫氏が、日光院に土地を寄進したと記録されている(『日光院文書』)。

 日光院とは現在の養父市八鹿町石原に所在する真言宗の古刹で、竹貫から南西へおよそ18キロほど向かった八鹿町石原に所在する。当院は、近世まで帝釈寺日光院と称し、妙見大菩薩を本尊とする。

 竹貫氏の出自についても史料がないため、不明な点が多いが、おそらく但馬の盟主・山名氏(山名宗全)に属していたものと思われる。
【写真左】削平地
 途中でこうした幅の広い削平地が出てきた。
【写真左】豊岡平野を望む。
 尾根筋から少し北に進むと開けた場所があり、そこから北東方向に目を転ずると豊岡市街地が確認できる。
【写真左】但馬空港が見える。
 前稿水生城でも見えたが、竹貫城からは更に近くなり、以前にも述べた岩井城が但馬空港エリアに所在した。
【写真左】長い郭
 当城中心部に近くなった箇所で、長い郭。
 竹貫城は三方向に伸びる郭群で構成されており、この写真は一番東側のものと記憶している。
【写真左】竪堀
【写真左】土塁
 中心部の郭と東側の郭の境にあったもので、高さは場所によって2mを越える。
【写真左】虎口か
 主郭上端部にみえた箇所で、おそらく虎口だろう。
【写真左】長い郭
 当城最長の郭で、北西方向の尾根に配置されている。長さは50m以上あるだろう。