2009年10月19日月曜日

金子山城(愛媛県新居浜市滝の宮町)

金子山城(かねこやまじょう)

●所在地 愛媛県新居浜市滝の宮町●高さ 80m(比高70m)
●別名 金子城・橘城
●築城者 金子氏
●築城期 南北朝時代
●城主 金子氏
●登城日 2009年10月18日

◆解説(参考:『城格放浪記』、その他)
 当ブログで愛媛県の山城を取り上げるのは今回が初めてである。

 天正13年(1585)、四国統一を果たした長宗我部元親は、落ち着く間もなく、今度は秀吉による討伐の試練を受ける。秀吉(当寺は羽柴秀吉)軍11万で、総大将は実弟の秀長が、淡路島側から侵入、阿波に入って、一宮城跡(徳島県徳島市一宮町)、牛岐城を攻める。

 備前からは宇喜多秀家軍が讃岐に入って岩倉城(徳島県美馬市脇町田上)などを、安芸からは、小早川隆景が村上水軍らを使って、伊予の金子山城、湯築城(愛媛県松山市道後湯之町)などを攻めた。
 この戦は、戦う前から勝敗が決していたといわれるが、それでも元親が挑んだのは、彼の武士としての誇りだったのだろうか。 

 この金子山城での戦いは、他の諸城と同じく短期間で落城したが、それでも長宗我部勢はわずか2,000余の兵で、毛利の大軍を相手に善戦したという。7月の暑い盛りの戦である。敵は毛利軍のみならず、暑さとの戦いでもあっただろう。

 金子山城の築城期は、南北朝時代といわれているが、詳細は不明である。場所は、写真でもわかるように、北に瀬戸内を見る眺望の効いた場所で、西隣のゴルフ場と一緒になった小丘陵の位置にある。

【写真左】金子山付近の配置図
 この図では、下方が北方向を示す。金子山城は図示されていないが、左側滝の宮公園付近にある、下段の「展望台」が本丸跡とされている。上段の展望台は、同じ尾根状を北に上った位置にあるが、城域だったかどうかは分からない。







【写真左】金子山城遠望
 麓のスーパー駐車場から撮ったもの。一番高くなったところが本丸跡。








【写真左】駐車場付近
 この周辺を「滝の宮公園」といい、駐車場が2,3カ所に分散している。写真の駐車場は一番高い位置にあるもので、写真の奥が北方向にあたり、本丸跡があった場所である。

 『城格放浪記』氏のサイトでも示されているように、城跡の遺構は「なし」ということで、公園にするためにこれほど改変された場所も珍しい。

 想像だが、この駐車場当たりに堀切などがあったのではないかと思われる。

【写真左】案内標識 上記駐車場付近に設置されている。右方向が本丸跡、左方向が「第2展望台」となる。
 なお、写真奥にみえるのが、ゴルフ場の山である。







【写真左】第1展望台付近にある金子山城の標柱
 この場所は第1展望台に向かう途中の広場の一角にあり、これとは別にコンクリート製の同上のものもある。












【写真下その1】第1展望台から瀬戸内海方面を見る
 天正13年、小早川隆景らが進軍してきた船団のルートは、現在の「しまなみ海道 」南岸に出て、そこからひとつは金子山城方面へ船を進め、もう一方は、今治から上陸し、湯築城方面と、陸路による金子山軍団に分かれたという。

 写真は、金子山城からしまなみ海道方面を見る。


【写真左:その2】






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