2009年11月1日日曜日

丸倉山城跡(島根県松江市宍道町・雲南市大東町)

丸倉山城跡(まるくらやまじょうあと)

●探訪日 2009年10月27日●所在地 島根県松江市宍道町上来待~雲南市大東町幡屋
●標高 372m
●遺構 郭 腰郭
●備考 別名 馬鞍山城、真倉山城

【写真左】丸倉山城遠望
 南側下山途中からみたもの










◆解説(参考文献:宍道町史等)

 以前紹介した松江市宍道町の宍道氏・金山要害山城(松江市宍道町白石)のある位置からさらに東南方向へ向かうと、地元では「幡屋三連山」の一つといわれる丸倉山が見える。
 残りの山は、大平山城跡(島根県松江市宍道町上来待小林)(410m)、八重山城跡(島根県松江市宍道町上来待)(407m)で、いずれも現在の松江市と雲南市の境界線上に頂部を持つ。

 八重山も大平山と接近しているので島根県遺跡データーベースでは山城として登録されているが、明確な遺構は残っていない。ただこの山は、寺院跡としての可能性が高いとしている。

 さて、丸倉山城については、戦国期の軍記物に直接当城の名前が出てくることは少ないが、当山の南麓部にある幡屋という地区については、尼子・毛利合戦の際、少なからず出てくるところである。

【写真左】登城口付近
 南側幡屋西谷地区にある登城口。登城ルートはこの場所から2つのコースがあり、今回は西端側の単独ルートから登った。





 宍道町史によれば、この丸倉山に築城を命じたのは毛利氏で、普請にあたったのは、地元の大西・立原ら国人領主だったという。

 役割としては向城だが、位置的な観点からも、単なる近場の敵城を攻め落とすことよりも、月山富田城を中心とする近在の尼子方諸城を意識したもので、そのためにこの付近から俯瞰できる範囲は相当広い。

 宍道湖周辺はもちろん、南方もかなりの視界をもって確認できる場所である(現在は雑木があり視界は良くないが)。

 現在の遺構として、主郭部分についていえば、三方の尾根にそれぞれ、数段の郭を配した放射状連郭式の形状を持つもので、上面の削平の丁寧さの割に、側壁部は粗雑な施工で、切崖の防御効果はほとんどない。
 さらにこの山城はそれらを多少補うはずの土塁の施工もあまり意識されていない。
【写真上】丸倉山・大平山・八十山案内図  写真が少し小さいが、丸倉山から下りる途中から大平山方面へいくルートがあり、道幅も広く整備されている。赤い部分が今回登り始めた位置。



 なお、主郭部は変形の三角形で、南北に縦長く、長径最大約50m、短径約30m(中央部の仏像設置位置が少し高い)。

 城郭全体の大きさは、南東部の郭5段最下部から北側郭3段先端部までが約100m、西側郭4段下から主郭中心部までが約40m程度ある。

【写真左】丸倉山登城路
このコースもだいぶ利用されているようで、歩きやすい。









【写真左】登城途中の大平山方面との分岐点
写真上のほうが丸倉山方面、右が大平山方面の道








【写真左】井戸跡らしき窪み
 上記分岐点には少し広い平坦地があり、その南東部に写真のような窪みがあった。直径は2m程度か。

 ときどき、大木が根こそぎ倒れ、そのあとにこうした形状をもった窪みが残るが、位置的にはこのあたりに井戸があったとしても不自然ではない。




【写真左】登城途中からみた西方の山並み
 この位置から西の斐川方面をさえぎるものがなく、非常によく見える。

 写真の左端は、城平山城で、中央部の平坦なところが高瀬山城。その奥にかすんで見えるのは、仏教山(カンナビ山)、右端のとがった山が大黒山。




【写真左】本丸入口付近
 登城路はほぼ南側から登り、城郭の南面中央部にいきつく。この直前までが少し傾斜がきつく、かなり休憩しながら登った。









【写真左】本丸跡その1
 主郭のほぼ中央部に仏像が二対安置されている。









【写真左】本丸跡その2
 表示板があるが、だいぶ古くなっている。











【写真左】本丸跡その3
 主郭の南東部に先ほどの窪みより、2倍程度の大きさのものがある。これも井戸跡と思われるが、県遺跡データーベースには記載されていない。

 仮に井戸跡だったとすると、相当深くないと山の形状から考えて水の確保が難しいものだったと思われる。



【写真左】本丸跡その4
 西側の二段目郭付近。西側郭は東南部に比べ幅が狭く、傾斜がきつい。










【写真左】本丸跡その5
 南東部方向の郭4,5段目から本丸方向を見る。

この方向の郭は奥行きがあり、広さも大きい。なお、先端部の先は原野のままだが、大平山方向に短距離で行けるような道跡が見られた。




【写真左】本丸跡その6
この場所からほぼ真北に見た景色で、中央左のとがった場所は、来待川河口部で、宍道湖に流れる。








【写真左】本丸跡その7
 北東方面に松江市街を見る。この日はだいぶ靄がかかっており、不鮮明だが、天気のいい日には宍道湖周辺は相当はっきりと見えるようだ。







【写真左】本丸跡その8
 南方向の大東町、加茂町方面を見る。写真中央の小さな突起した山が、高麻城跡になる。









【写真左】本丸跡その9
 市境の杭。手前の黄色いほうが、大東町(雲南市)で、向こう側が宍道町(松江市)になる。

1 件のコメント:

  1. 明日、子供が遠足で登るので検索しましたがなんだか大変そう…。

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