2011年12月22日木曜日

赤崎山城(島根県安来市赤崎町城山)

赤崎山城(あかさきやまじょう)

●所在地 島根県安来市赤崎町城山
●高さ 87m
●遺構 郭・堀切
●築城期 不明
●城主 原民部少輔
●備考 尼子十砦の一つ
●登城日 2011年12月2日

◆解説(参考文献:『尼子とその城下町』編著者 妹尾豊三郎、サイト『城郭放浪記』等)
 出雲から鳥取・岡山方面の山城を探訪する際、山陰自動車道をよく利用するが、車で走っていると安来ICに差し掛かるころ、右手(南側)にいつもこの山が見えていた。
【写真左】赤崎山城の頂上部
 展望台が設置されている。北~西~南方面の眺望が確保されている。







 標高90m弱という低い丘陵上の頂上部が最近伐採され、展望台のようなものが見え出していたため、気にはなっていたが、まさかこの山が山城とは思っていなかった。というのも、あまりにも低く、なだらかな山(丘といったほうがいいかもしれない)であったからである。

 所在地は安来市の飯梨川と伯太川に挟まれた場所で、尼子十砦のひとつとされた山城である。

 尼子十砦とは、尼子氏の本拠城・月山冨田城を防備するために、冨田城を中心に半径約10キロ圏内に配置された支城である。
【写真左】登城口付近の案内図
 登城ルートは2か所あり、今回は東側の山辺大堤側から向かった。


 駐車はこの脇を走る道路の一角に少し三角形のスペースがあるので、1台分は何とか確保できる(下の写真参照)。
【写真左】登城口付近
 ご覧のように階段が設置され、この日登ったときには、登城道周辺も綺麗に除草され歩きやすくなっていた。
 
 登り始めて5分程度過ぎたころ、下山してくる初老の男性の方とすれ違ったが、近所の散歩程度の軽装で降りてこられ驚いたが、逆に向こうはこちらの服装(登山靴にリュックなど)に驚いていたようだ。


尼子十砦(あまごじっさい)

名称           城主名等             所在地
  1. 十神山城      松尾遠江守           安来町十神 
  2. 神庭横山城    川井信濃守            安来町神庭
  3. 三笠山城      西村治右衛門          広瀬町広瀬
  4. 赤崎山城      原民部少輔           赤崎町城山    
  5. 亀遊山城      和田源太左衛門        伯太町東母里
  6. 高尾城      足立右馬允           伯太町下十年畑
  7. 飯生高守山城   中井平三兵衛         伯太町井尻字大日
  8. 蓮華峯寺山城   福山肥後守・土居大隅守   広瀬町菅原
  9. 安田要害山城   福山綱信・源五郎父子    伯太町安田関字要害山

  10. 勝山城       田中三良左衛門         広瀬町石原
なお、これら10か所の山城(尼子十砦)については、すでに『城郭放浪記』氏がすべて登城・報告されているので、ご覧いただきたい。
【写真左】途中に見えた産業廃棄物処理場
 尾根伝いに進んでいくと、途中で鉄塔が設置され、その南麓には処理場が見える。






 赤崎山城は、中海に突き出した海城・十神山城と、尼子氏本拠城・月山冨田城を結ぶライン上に位置し、両城の連絡を担い、さらには近接の神庭横山城と呼応して、赤崎周辺を守備していたという。
【写真左】郭の一部
 このコースは多少の起伏はあるものの、全体に歩きやすい。

 途中で尾根幅の広くなったところや、土橋のような狭くなった箇所もあり、別の尾根との合流点には、郭のような削平地も認められる。





 ところで、赤崎山城は単独の丘陵地に築かれた山城で、前述したように標高が90mにも満たない低い山城である。

 当城の東側には伯太川が流れ、西側には吉田川が当城をぐるっと回り込む形で流れている。このことから、この赤崎山城も十神山城と同じく、戦国期までは中海に浮かぶ孤島ではなかったかと考えられる。

 そのため、標高は低くとも周囲が海に囲まれていたことら、天然の堀としての役目があり、北方の十神山城との連絡は、ほとんど船によってなされていたと考えられる。
【写真左】主郭手前の壇
 このあたりで、北側の加茂神社コースと合流するが、周囲には不定形な腰郭が確認できる。
【写真左】加茂神社側コースから主郭方面を見る。
 左側(大堤)が登ってきたコースで、手前が加茂神社側からのコースとなる。
【写真左】主郭
 展望台付近の郭は、10m四方の規模で、その北側には1m程度の段差を持たせた奥行10m程度の郭が伸びる。


なお、主郭から南には堀切のような段差が認められ、さらに南方に向かうと、尾根伝いに小郭が確認できる。ただ、その先はほとんど整備されていないようで、踏査しなかった。
【写真左】十神山城遠望
 写真右隅の山は、北方の中海に突き出す十神山城。
 中央横に走る道路は、山陰自動車道で、右側には安来ICが控える。おそらく、このあたりも当時は中海の一部だったのだろう。


十神山城の奥にみえるのは、中海に浮かぶ大根島で、さらに奥の左にみえるのは美保関方面。
【写真左】忠山城
 十神山からさらに西に目を向けると、島根半島にそそり立つ忠山城がみえる。


尼子再興をめざし、永禄12年(1569)6月23日、山中鹿助・尼子勝久らが隠岐から渡海し、この山に拠った。


忠山城については、いずれ取り上げたいと思う。
【写真左】車山城と京羅木山城
 手前中央の山が車山城、奥の左側が京羅木山城。
 集落中央を左から右に流れるのが飯梨川で、この川を上ると尼子氏の居城・月山冨田城につながる。

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