2011年10月9日日曜日

高穴城(愛媛県松山市横谷)

高穴城(たかあなじょう)

●所在地 愛媛県松山市横谷
●高さ 標高503m
●築城者 不明(河野氏一族か)
●築城期 不明(鎌倉時代か)
●登城日 2011年9月14日

◆解説(参考文献『日本城郭大系第16巻』『県別マップル38 愛媛県道路地図 2009年2版 昭文社発行』等)

 「高穴城」として一般的に知られるのは、前々稿の「高縄山城」から西麓に降る河野川の中腹である横谷字高穴に聳えている高穴山(H292m)の山頂に築かれた山城である。

 この高穴城については、サイト『城郭放浪記』氏が既に紹介しているので、ご覧いただきたいが、本稿で取り上げる高穴山城は、この場所のものではない。

もう一つの「高穴城」

 道路地図として市販されている昭文社の「県別マップル38 愛媛県道路地図」を見ると、「高縄山」から西下する道路「178号線」を辿ると、横谷集会所とのほぼ中間地点に、「高穴城跡」が記されている。

 一般に知られている「高穴城」は、前述したように横谷集会所の北西約500m地点に聳える高穴山の箇所だが、同名の山城がもう一つあることになる。この高穴城は下流の高穴城をさらに遡った標高503mの位置である。
【写真左】高穴城・その1
 写真の右側に当たる箇所になる。この場所は高縄山側から伸びた細い尾根筋途中を切削し、ほぼ180度の角度でUターンさせた道(「178号線」)が走っている。
【写真左】高穴城・その2
 下の道路から上方の高穴城方向を見上げる。
 周囲から登城できそうな箇所を探したが、周囲はほとんど切り立った崖や、崩落した箇所が多く、断念した。
【写真左】高穴城・その3
 この日は特に雨上がり後だったせいか、崩落箇所が多かった。


 この「178号線」は、狭く深い谷筋に沿って造られているため、一年中こうした崩落などがあり、度々補修工事をしているようだ。
【写真左】高穴城・その4
 下流側から見たカーブ地点。
 高穴城はこの写真の左側になる。
【写真左】カーブ下の尾根付近
 カーブの外側以降はさらに細くなり、左右の谷の深さが一段と険しくなる。






考察

 さて、この場所を高穴城と記した昭文社の地図と、『日本城郭大系第16巻』に示された高穴城との差異がどこからきたものか分からないが、本稿で取り上げた高穴城が、はたして城砦であったかは、この写真のみでは何とも言えない。

 しかし、この地域の地勢などを考えると、高縄山城から少し下った険峻なこの尾根に城砦があったとしても、全く違和感はないと思える。

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