2018年8月7日火曜日

耳金城(愛媛県西条市丹原町久妙寺(丹原総合公園)

耳金城(みみかねじょう)

●所在地 愛媛県西条市丹原町久妙寺(丹原総合公園)
●別名 耳金砦
●高さ 85m(比高50m)
●築城期 南北朝期か
●築城者 河野氏
●城主 河野氏、田中通澄
●遺構 ほとんど消滅
●備考 丹原総合公園
●登城日 2016年2月21日

◆解説(参考資料 HP『城郭放浪記』、『日本城郭体系 第16巻』等)
 耳金城は別名耳金砦ともいわれ、河野氏によって築かれたといわれている。築城期ははっきりしないが、康永2年・興国4年(1343)に細川頼春(細川頼春の墓(徳島県鳴門市大麻町萩原)参照)が当時南朝方であった河野氏を攻めたとき、この耳金城が落城したといわれているので、南北朝時代初期と考えられる。
【写真左】耳金城遠望
 麓から見たもの。
城を模した白壁の塀がみえるが、これは丹原公園の壁で、中には遊戯施設などが設置されている。




 その後、康暦元年・天授5年(1379)になると、細川頼之(讃岐守護所跡(香川県綾歌郡宇多津町 大門)参照)が大軍を率いて伊予に進攻し、再び当城を攻め落とすが、翌年河野氏が奪い返している。

 その後の詳細は不明だが、戦国期になると田中通澄の居城となり、秀吉の四国攻めで落城したあと通澄は帰農したといわれる。
 現在は遺構はほぼ消滅し、丹原総合公園として改変されている。
【写真左】丹原総合公園案内図
 現地に案内図が設置してあるが、下方を北にとった図であったため、管理人によって上を北方向に修正したもの。

 この中で、右下位置に「耳金砦遊戯広場」と記されている箇所が城跡付近と思われる。
【写真左】海抜28mの標示
 耳金城(耳金砦遊戯広場)の東麓には丹原町体育館があるが、その入口にはご覧の様に「津波避難は高台へ」と表示された看板が設置してある。

 この位置で海抜28mとなっている。因みに、ここから瀬戸内(燧灘)までは直線距離でおよそ6キロほどである。

 現在は耳金城から東北方面に向かって広大な道前平野が広がっているが、中世にはこの麓付近まで入江の地勢だったと考えられる。
【写真左】南側から入る。
 直接耳金城(遊技広場)に向かうコースもあったが、先ずは南側から入り、その後西の方向を目指すことにした。
【写真左】下の広場
 正面奥に耳金遊戯広場の白壁が見える。

 下の段も大分広く、公園の一部として改変されているため往時の状況は分からないが、郭段などもあったと考えられる。
【写真左】分岐点
 右に行くと耳金砦となっているが、先ずは左側の散策路と書かれたコースに向かう。
【写真左】福岡城を遠望する。
 福岡城は次稿に予定しているが、耳金城の東南東方向に700m程向かった田圃の中にある丘城である。

 おそらく、耳金城の前線基地的な役割を担い、物見櫓などがあったものだろう。
【写真左】さらに西へ
 散策路コースは予想以上に奥まで設置されている。

 途中で、写真にあるように鞍部となった箇所があるが、堀切のようなものがあったのかもしれない。
【写真左】展望台から南東方向を俯瞰する。
 このさきにも散策路があるようだが、最初のピークとなる展望台までとした。
 耳金城は正面の森の裏側にある。
【写真左】石鎚山を遠望する。
 この日は視界が良かったのか、雪を被った伊予の名峰・石鎚山が見えた。

 このあと、Uターンして耳金城跡となる遊戯広場に向かう。
【写真左】耳金城(耳金砦遊戯広場)・その1
 この名称を冠した広場が城跡の中心地と思われるが、ここから西に伸びる「さえずる森」といわれる付近も城域だったと考えられる。

 写真正面奥に燧灘(瀬戸内海)が遠望できる。
【写真左】耳金城(耳金砦遊戯広場)・その2
 完全に遺構は消滅している。
【写真左】お筆山古墳
 総合公園が設置される前、グランドの中ほどまで突き出ていたのが標高42mの通称お筆山といわれていた山である。

 その頂部にこの古墳があり、公園化に伴い現在地に移転復原している。



 この古墳は円墳の1号墳と、方墳の2号墳の二つがあり、1号墳は、楕円形でA・B二の石室を持つ。2号墳は復原されていないが、方形の墳丘に横穴式石室を持つ古墳だったという。

 このように、耳金城周辺は、古墳時代からこの場所に人々が生活をしていた場所である。なお、この耳金城を北東端に置く山塊は、北東方向に3キロの軸をとり、愛ノ山という山を頂点とした独立峰であり、中世にはこの山全体が戦略的な機能を有していたのかもしれない。
【写真左】東側から見上げる。
 下山後、東麓を走る町道・今井久妙寺線から見上げる。
 この位置から耳金砦までの比高は凡そ30m前後である。

 なお、当城の所在する地名ともなった久妙寺はこの場所から北西に800m程向かったところにある。

山号 梵音山、真言宗御室派。
行基開基、中興は弘法大師といわれる古刹である。

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