2015年3月3日火曜日

安芸・的場城(広島県竹原市竹原町港町)

安芸・的場城(あき・まとばじょう)

●広島県竹原市竹原町港町
●高さ 63.7m(比高63.7m)
●築城期 不明
●築城者 不明
●形態 水軍城
●遺構 郭
●備考 的場公園、三鬼神社
●登城日 2014年6月30日

◆解説
 安芸・的場城(以下「的場城」とする)は、瀬戸内海に面する竹原港の東岸に築かれた城砦で、現在当地は的場公園という名称の憩いの場となっている。
【写真左】的場城遠望
 東側からみたものだが、手前には的場海水浴場があり、夏場以外でも地元の人たちの憩いの場となっているようだ。

 この日も、少人数のグループの高校生などが水辺で遊んでいた。
 左側が瀬戸内海で、先端部も含め、当城の外周部は切り立つ壁が多い。
 なお、登城道はこの写真の奥から進み、一旦北側(右)を目指して向かうようになっている。


 築城期・築城者などは不明で、遺構も削平された郭状のものはあるものの、明確なものは残っていない。
 的場城の西麓から北に2.5キロほど進むと、以前紹介した鎮海山城(広島県竹原市竹原町貞光)があるので、おそらく戦国期には鎮海山城の出城的な役目を負っていたものと思われる。また、管理人は登城していないが、ここから東の海岸沿いに約2キロほど向かったところには、高崎城という水軍城もあり、的場城も瀬戸内を活躍の場とした水軍城であった可能性が高い。
【写真左】想像図
 戦国期における当城の想像図を描いたもので、概ね海に面した外周部は絶壁が多い。水軍城であったことを考えると、船着場はこの図でいえば、右(海水浴場側)の奥もしくは、左(竹原港)の奥の箇所にもうけていたと考えられる。


 現在、主郭跡には三鬼神を祀る神社が建立されている。当社の縁起を下段に示す。

三鬼神縁起
 祭神三鬼大権現んは大同元年(806)の秋、弘法大師御修業の砌(みぎり)勧請せられた。
 当大鎮守で時眉(じみ)・追帳(ついちょう)・摩羅(まら)の三鬼神は大日如来、虚空蔵菩薩、不動明王の化身にして、知恵、福徳降伏の徳を司り、太郎坊、次郎坊を初め日国中の大、小天狗を眷属(けんぞく)に随え、神通力を以て衆生の心願を満足せしめ給う、霊験顕著な神である。
 1926年に宮島の三鬼堂より三鬼神の分神を祭祀した。”
【写真左】海岸部・その1
 この日最初に当城南麓部である海岸部に向かう。
【写真左】海岸部・その2
 右側が的場城になるが、絶壁の下は護岸工事された歩道が設置されている。
【写真左】海岸部から上を見上げる。
 南側先端部付近のもので、ほぼ垂直に切り立つ岩山である。

【写真左】海岸部・その3
 先端部からさらに西に進むと、小規模な浜が広がる。防波堤などが設置されてできたものだろう。

 このあと、Uターンして的場城に向かう。
【写真左】登城道
 東面に整備された登城道(散歩道)がある。探訪日が6月だったこともあり、雑草が繁茂している。
【写真左】中段部の細い郭
 西側に伸びた尾根状に築かれた小郭で、先端部向かって細くなる。
【写真左】郭
 上記の郭箇所に接する位置で、ベンチなどが設置されているので、公園として整備するさい郭としての遺構がどこまで残っているのか不明。
 このあと、主郭がある南の尾根に向かう。
【写真左】主郭に向かう階段
 この階段を過ぎると一旦踊り場があり、さらにもう一つの階段を登ると主郭の南側にある腰郭に繋がる。
 前記した郭段からはおよそ10m程度の比高差があるだろう。
【写真左】鳥居が見えてきた。
 写真左側が主郭南側にある腰郭に当たり、ここから振り返ると、主郭側に向かう鳥居と階段がある。
【写真左】腰郭
 およそ奥行15m×最大幅10mで、南方向に向かって細くなる三角形の郭。
【写真左】主郭方面を見る。
 正面に鳥居が見える。
【写真左】鳥居
 「三鬼神社」と刻銘されている。昭和9年の建立。
【写真左】主郭を下から見る。
 便宜上主郭としているが、規模が小さいため当時は物見台的な機能の遺構だったかもしれない。
【写真左】主郭
 およそ10m四方の規模で、一角には三鬼神社の祠が祀られている。
【写真左】灯明台
 海側にはご覧の灯明台が設置されている。

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