2012年5月22日火曜日

鞆城(広島県福山市鞆町後地)

鞆城(ともじょう)

●所在地 広島県福山市鞆町後地
●築城期 天正年間
●築城者 渡辺氏・毛利元就
●改修者 毛利輝元・福島正則
●遺構 石垣(石塁)当
●指定 福山市指定史跡
●形態 平山城
●高さ 標高24m(比高22m)
●登城日 2012年3月14日

◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
 前稿大可島城(広島県福山市鞆町古城跡)でも触れたように、鞆城は大可島城より少し陸地に入った丘陵に築かれた平山城である。
【写真左】鞆城近影
 登城口は数か所あるようだが、東端部にある歴史民俗資料館下の駐車場側から登った。
 上の建物は当該資料館。




現地の説明板より

“鞆城跡
  市史跡 1976年7月13日指定


 ここは鞆城の本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺、北端は沼名前神社参道、南は港に面していた。


 毛利氏が築いた城を、慶長5年(1600)安芸・備後の領主となった福島正則が改修した。慶長2年(1607)の朝鮮通信使の日記い「岸上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である。」と記しており、その時、建設中であったことが知られる。
【写真左】鞆城略図
 急傾斜地崩壊危険区域用の図面だが、鞆城の大まかな配置が分かる。
 写真中央部がおそらく本丸付近だったと思われる。




 元和元年(1615)の一国一城令に先立って廃城となり、正則の後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以後は、江戸時代を通して町奉行所が置かれた。”


 鞆城は城域全体が、現在県において、「急傾斜地崩壊危険区域」とされている。このことから標高の低い平山城を、険しい切崖で要害性を高め、周辺を防備していたことが想像される。特に東西に延びた南北の斜面にそうした箇所が見られる。
【写真左】復元された石垣群













 また現地には「鞆城の石垣と刻印」について下記のような説明板が設置されている。

説明板より

“鞆城の石垣と刻印
 
 この石垣は鞆城本丸の東南隅と、それに連なる石垣の一部を復元したものである。
 鞆城は、近世初頭に城郭を整えた城であるが、早くから取り壊されたため、その縄張りに不明な点が多い。1986年(昭和61年)に実施した発掘調査により、この石垣の基底部が確認され、歴史民俗資料館の建設に伴い復元整備したものである。
【写真左】「回」と刻印された石垣














 なお、この石垣には「回」「大」「△」などの刻印が認められるが、他にも城跡内に残る石垣から◇、㊀、㊁、㋩、卍、日などが確認されている。
 刻印は城の石垣によく見かけられ石工・採石地の印呪符などの諸説があるが定説はない。


 福山市教育委員会”



築城期と築城者

鞆城の築城期については、天正4年(1576)とされ、毛利氏が将軍足利義昭を鞆に迎えた際築城したとされてきた。ただ、『日本城郭体系 第13巻』でも触れているように、前稿で紹介した大可島城が南北朝期にすでにあったことや、鞆の浦が古くから海上交通の要衝であったことも考えると、大可島城と同じく、すでに城砦としての機能をもっていたと思われる。
【写真左】歴史民俗資料館と復元された石垣
 城域の東部に当たる個所で、現在は資料館などが建っているため、当時の様子は窺い知ることはできない。


 なお、資料館そのものの位置は、おそらく本丸の東部に当たると思われ、二の丸もしくは腰郭跡だったのかもしれない。



 そして鞆城の前身といわれているのが、「鞆要害」である。
天文22年(1553)ごろ、毛利元就の命により当時備後沼隈半島一帯を支配していた山田渡辺氏が、尼子氏攻撃に備えて築いたとされる。山田渡辺氏は、以前取り上げた一乗山城(広島県福山市熊野町上山田・黒木谷)の城主である。
【写真左】一乗山城遠望
 北側から見たもの。








 一乗山城は鞆城から少し内陸部に入った熊野町上山田・黒木谷に所在するが、築城者である渡辺氏は、室町時代初期、草戸村長和荘に入り、4代目・兼のとき山田荘(現熊野町)に入っている。

 こうしたことから、鞆要害を含めたこの地域全体がすでに渡辺氏の支配に入っていたことが予想され、鞆城そのものの前身はすでにそのころ築かれていた可能性も十分考えられる。
【写真左】本丸の石塁
 資料館の西隣が本丸跡とされ、昭和50年(1975)7月の発掘調査で検出された石塁である。
【写真左】西側から本丸を見る。
 本丸から西にかけて4m前後の段差を設けた広場がある。


 公園のような施設となっているため、遺構は消失しているが、おそらく三の丸、もしくは腰郭のようなものがあったと思われる。
【写真左】鞆城から「大可島城(円福寺)」を見る。
 この場所から直線距離で約300m程度ある。


 もっとも鞆の町並みは狭い通りが多いので、実際の距離はもう少しある。

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