2010年2月9日火曜日

手間要害山(鳥取県西伯郡南部町寺内)

手間要害山城(てまようがいさんじょう)

●所在地 鳥取県西伯郡南部町寺内
●登城日 2009年12月1日
●築城期 不明
●築城主 日野氏
●城主 日野孫左衛門、杉原盛重等
●標高 334m
●別名 天満城、天万要害
●遺構 郭、土塁、虎口、井戸等多数

【写真左】手間要害山遠望
 北側の道路(溝口伯太線:1号線)からみたもので、登り口は写真左側から向かう。下段説明にあるように、左側の山付近から見ごたえのある郭群が構築されている。



◆解説(参考文献「サイト:山陰の城館跡」等)

 所在地は鳥取県の西端にある南部町というところにある。旧名会見町といっていたところで、西隣は島根県の旧名伯太町(現安来市)が接している。

 手間要害山を起点にすると、真北5キロに以前取り上げた「宝石城」があり、東南東3キロには「小松城」、西北4キロには、未だ取り上げていないが雲伯国境に「安田要害山城」がある。

 標高が300m余りとさほど高くないものの、登城してみると俯瞰できる範囲は非常に広いことがわかる。
【写真左】登山口付近の駐車場
 1号線の途中に南に向かう細い道があり、そのまま登っていくと、麓に駐車場が設置されている。なお、途中までの案内看板はあるが、目立たない看板なので、この付近に来たらゆっくりと走った方がいい。
 駐車台数は、7,8台は留められるだろう。


 当城の概略については、現地登城口の案内板より転載する。

要害山(手間山) 標高334mで、古くから美穂湾を行き交う舟や山陰道をはじめとする往来の目印として親しまれてきたという。
 「伯耆誌」から手間山を抄録すると、〝この地方の高山なり。故に数里の外一望にして指点す。往古城ありし故土人常に要害と呼び、郡中広くは手間山と呼ぶ″とある。

「手間山」に関する最古の記録は、「古事記」であり、そこには出雲の大穴牟遅神(おおなむちのかみ)(大国主命)と八十神との赤猪神話の舞台として登場している。
【写真左】登城口付近
 駐車場から歩いて100m程度行くと、この場所に突き当たる。なお、登城口までは駐車場から少し戻り小川に橋がかかっていて、この橋を渡って行く(西方へ向かう)。

 この写真の右手前に、説明板が設置されている。左側にも道があるが、この道は行きどまりなので注意が必要。

 意外だったのは、この位置からいきなり急斜面の登りこう配である。しかもほとんど直線コースなので、ゆっくりと行かないと、すぐに息が切れる。


 中世にはここに城郭があったことは確認されている。しかも手間要害山最高所に位置する郭群でも11郭からなり、その他小屋ヶ平地区等数多くの郭群で構成され、山陰最大級の山城である。

 伯耆を舞台にした尼子・毛利の戦において、毛利氏は杉原盛重に直接城を管轄させ、この城を守ったといわれ、手間要害は常に戦略的な拠点として重視されていたことを窺うことができる。

 天正12年(1584)落城したが、この後、天正19年(1591)の段階には、毛利氏が西伯耆において維持していた5つの城郭の中に、手間を見ることができる。
平成5年4月”
【写真左】最初のころに出てきた郭
 この位置に来るまでに、堀切、土塁等もあったが、雑木が多いため、良好な写真が撮れていなかった。この郭は施工も良く、特に平坦面の精度がいい。



 当城の城主も他と同じく、城主が度々代わっているようで、特に永禄年間から天正年間にかけては、尼子・毛利合戦史の縮図を見ているように思える。永禄年間までのところでは、日野孫左衛門が当城に拠ったとなっているが、おそらくこのころは尼子氏の麾下に入っていたものと思われる。

 その後永禄3年になると、杉原盛重が毛利方部将として入ってきたとあるが、日野孫左衛門もおそらくこの時、尼子から毛利へ鞍替えしていたと思われる。しかし同5年(1562)、日野孫左衛門は再び尼子に復帰している。このきっかけは、いわゆる元就による本城常光誅伐事件が引き金になっていると思われる。というのも、元尼子方だった武将が、この事件をきっかけに大挙して尼子方に復帰しているからである。

 これに対する毛利氏の対応は素早かった。永禄7年(1564)4月5日、片山平左衛門尉が、当城・手間要害山を焼き討ちし、同月17日には元就は月山富田城に軍をすすめた。
 この間、元就は西方石見の国を着々と手中に収め、東西から尼子の本拠・月山を挟みうちにしていった。
【写真左】中腹の郭群にみえた帯郭
 当城の特徴の一つである数段の郭段をつなぐ帯郭は、ほとんど西側に構築されている。場合によっては武者走りとも言えるかもしれないが、幅がゆったりととってあり、帯郭とみた方がいいと思われる。


 このころの記録として興味深いのは、出雲伯耆に長期にわたって転戦することから、大量の兵糧が必要になる。

 一つの例として、永禄7年(1564)7月24日、兵糧が無くなり、「急遽杵築(大社)より伯耆国淀江(米子市)に、米300俵を送る、もし遅れた場合には銀10枚を送って対処せよ」、との通達文書が残っている(「萩閥31」)。おそらくこの間、宍道湖・中海はもちろん、山陰海岸の海辺には多くの兵糧運搬の船が忙しく往来していたことだろう。  
【写真左】郭
 郭の数が多いため、どのあたりのものか写真が多すぎて断定できないが、中腹のものと思われる。この郭も非常に広大なものである。



 さて、手間要害の規模を見ると、説明板にもあるように「山陰最大級の山城」とまではいかないまでも、遺構の多さ、城域の広さなどは近在の山城より明らかに大きい。

 特に標高200mを越えたあたりの最初の丘陵面から、多くの郭段が構成され、南北中間点の尾根に来ると、郭の幅も広く、段の高さも効果十分なもので、施工も精度が良好である。
【写真左】本丸直下の郭
 左側の藪状態になっているところは、平坦地となっており、整備すると非常に見ごたえのある郭だと思われる。ただ、規模が大きいため、地元の人もなかなか容易ではなかったかと思われる。

 位置的に考えると、このあたりに井戸らしきものがあるかもしれない。また、この位置から登る道は現在東側に設置されているが、西側にも十分向かう道が確保されている(倒木などはあるが)。
 この郭段から本丸に向かって、南へ規模の大きい腰郭(4段くらいか)が繋がる。
【写真左】本丸上り口付近から、東方に名峰・大山(だいせん)を見る
 本丸の入口から少し入ったところまでは、下草が刈られてあり、特に大山を見る位置は視界が良好になっている。

 写真の左側麓には、今月取り上げた「岸本要害」が位置する。この写真のほとんどは隣町・伯耆町の町並みである。


 特に目を引いたのは、本丸直下の標高250mを越えたところにある郭群は規模も大きく、南北250mの長さの中に、8~9カ所の郭を設け、西側には長大な帯郭が付設されている。

 本丸側については、主郭部分のみ下草が枯れて、他の遺構部分は管理が行き届いていないものの、主郭南端部の数段の腰郭および帯郭には見ごたえがある。

【写真左】本丸跡に建つ壊れた鳥居
 現地には近世にいろいろ祀ったものがあるようだが、ほとんど朽ち果てている。

 この場所も広い郭段だが、写真右側に1~2m程度高くなった廓がある。そこに祠のようなものがあったので、おそらくその位置が主郭と思われる。ただ、草丈が伸び放題の場所になっている。

【写真左】本丸跡に落ちていた手作りの説明資料
 当城周辺の他の山城を説明したものだが、ビニール製の入れ物に入っているものの、保管場所が悪く、ボロボロ状態になっている。

 内容はかなり詳しく書かれているようだ。「朝鍋城」「宮谷城」などと書かれ、しかも詳細な縄張り図なども添付されている。おそらく地元の城郭研究家が作成したものだろう。

【写真左】本丸南直下に取り巻く帯郭
 本丸そのものも良好だが、南側に下がると写真にみえる帯郭が、南から西に向かってぐるりと配置されている。

 雑木がだいぶ生えているが、十分に郭の様式を留め、しかも周囲には土塁をめぐらしている。このあたりは、個人的に非常に気に入った個所である。


【写真左】本丸から北方に日野川・日本海を見る
 写真中央に見える煙を吐く煙突は、王子製紙の工場のもの。この日はだいぶ視界が良好だった。





【写真左】本丸から登城口・駐車場方面を見る。
 写真にみえるため池の右下が駐車場になる。なお、この写真には見えないが、写真の上(北)に大安寺という寺があり、杉原氏の供養塔があるという。
【写真左】手間要害山北麓にある赤猪岩(あかいいわ)神社

現地の説明板より

赤猪岩神社
 大国主命を主神とし、その御親素盞鳴尊、稲田姫を合祀する。古事記によれば、大穴牟遅神(大国主命)には、八十神といわれる多くの庶兄弟がおり、かねてからその才能をねたまれていた。因幡の旅の途次、気多の前(現在の白兎海岸か)で、白兎を救い、八上比売に求婚してこれを得たことなどから八十神たちの恨みを買った。

 出雲への帰路「伯伎(耆)の国の手間の山本」で八十神は、「赤き猪この山に在り、われ共に追い下しなば汝待ち取れ、若し待ち取らずば必ず汝を殺さむ」といい、猪に似た石を焼いて転がし落とし、大穴牟遅神はその石を抱いて落命した。

 その母刺国若比売は泣き泣き天に上って神産巣日之命に訴え、キサガイ比売(赤貝)とウムギ比売(蛤)を遣わされた。その貝殻を削った粉を清水で母乳のように練って塗ったところ蘇生して「麗しき壮夫(をとこ)になりて出で遊行きき。」とある。
「伯伎国の手間の山本」を、現在地(寺内字久清)として、赤猪岩神社は祀られている。平成5年4月”

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