◆登城日 2008年2月3日
◆この城も、箆津城と同じような海岸部に近接した位置になるが、箆津城と違うのは、城郭周囲が深い藪や森となっており、現在はその中央部に「富永神社」という社殿が建てられている。
【写真左】富長城跡(富長神社)入口付近
◆所在地 名和町 大山口 富長
◆遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑
◆現状 富長神社
◆築城年 元弘年間(1331-34)
◆築城者 荒松氏
◆歴代城主 荒松
◆形式 平城 ・海城
◆備考 名和町指定文化財
◆遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑
◆現状 富長神社
◆築城年 元弘年間(1331-34)
◆築城者 荒松氏
◆歴代城主 荒松
◆形式 平城 ・海城
◆備考 名和町指定文化財
◆この城も、箆津城と同じような海岸部に近接した位置になるが、箆津城と違うのは、城郭周囲が深い藪や森となっており、現在はその中央部に「富永神社」という社殿が建てられている。
また、海岸部からの比高もさほどないようで、その分土塁が全周囲にわたって構築されている。
◆名和氏に協力した荒松氏が、元弘年間(1331-34)に築城し、この地の防備に当っていたといわれる。また、戦国時代には、西伯の土豪・福頼左右衛門尉が在城したともいわれる。
この城や、荒松氏についての具体的な資料がないため、詳細は不明だが、位置的に考えると、当城と名和氏の本館跡といわれる長綱寺付近まで、直線距離で約2km程度であるので、普段から物資や人の行き来があったものと思われる。
【写真左】富長城跡(富長神社)入口付近
【写真左】右側に見える土塁の一部
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