2009年1月16日金曜日

凸富長城・荒松氏(名和町)

◆登城日  2008年2月3日

◆所在地  名和町 大山口 富長
◆遺構等   曲輪、土塁、空堀、碑
◆現状    富長神社
◆築城年
  元弘年間(1331-34
◆築城者
  荒松氏
◆歴代城主 荒松
◆形式    平城 ・海城
◆備考    名和町指定文化財


◆この城も、箆津城と同じような海岸部に近接した位置になるが、箆津城と違うのは、城郭周囲が深い藪や森となっており、現在はその中央部に「富永神社」という社殿が建てられている。
 また、海岸部からの比高もさほどないようで、その分土塁が全周囲にわたって構築されている。

◆名和氏に協力した荒松氏が、元弘年間(1331-34)に築城し、この地の防備に当っていたといわれる。また、戦国時代には、西伯の土豪・福頼左右衛門尉が在城したともいわれる。

 この城や、荒松氏についての具体的な資料がないため、詳細は不明だが、位置的に考えると、当城と名和氏の本館跡といわれる長綱寺付近まで、直線距離で約2km程度であるので、普段から物資や人の行き来があったものと思われる。



【写真左】富長城跡(富長神社)入口付近






【写真左】本殿を横からみたところ
 建物そのものはさほど大きくはないが、当時この場所が城(館)として建っていたとすれば、敷地の大きさから考えて、かなりのものと思われる。


【写真左】右側に見える土塁の一部

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