2009年11月7日土曜日

大平山城・その2

大平山城跡・その2

●探訪日 2009年10月27日●所在地 島根県雲南市大東町幡屋
●標高  410m

◆解説
 今稿は大平山城跡の周辺について、補足したい。
 実は、10月27日に丸倉山登城後、次に大平山城跡に向かったものの、城跡たどり着くことができなかった。このとき訪れたのは、大平山城跡ではなく、尾根伝いの最高所である大平山頂点だった。

 この段階では、大平山城跡と、大平山頂点を混同していて、一向に城跡らしい風景に出合えず、その周辺を徘徊したようなことになった。しかし、幡屋三連山の状況がだいぶつかめてきたので、その報告とする。
【写真左】丸倉山下山途中の分岐点で、大平山方面に向かう林道
 軽トラックの4WDなら、おそらく走行できると思われる。








【写真左】丸倉山と大平山の分岐点
 この位置は、後段の展望台側から直接登れる道との三叉点で、手前に下段のような道がつながっている。







【写真左】展望台へ向かう道
 この日の帰りは、この道を通った。











【写真左】大平山への登り口
 上記の位置から50mほど進むと、北に向かって大平山へ向かう階段がある。この道から登って行った。







【写真左】大平山登城路その1
 階段の蹴上部に木製の泥止めが設置されているが、だいぶ劣化していて、途中からは破損、または雨で完全に流されている個所が多くなった。








【写真左】その2
 後半は御覧の通りで、どうやらこのルートは最近はほとんど使用されていないようだ。
 雨の日はおそらく相当な急流の川状態になっているだろう。













【写真左】尾根に出る
 尾根に出ると途端に歩きやすい道になり、しかも100m程度にわたって、南斜面がきれいに伐採されている。当然南方の眺望がよくきく。








【写真左】大平山頂部:標高410m その1
 尾根伝いに歩いていると、どこが頂点なのかよくわからない感じになり、少し高いところで休憩をしたところ、後で、この場所が頂部(2等3角点)だと分かった。長径6,7m、短径5m前後の平坦地である。






【写真左】その2











【写真左】ここからさらに東の尾根伝いに進む
 写真は途中で約150m程度にわたって続く地形だが、どういうわけか尾根の南側のみを削って、北側と約1m程度の段差を設けている。

 近代の施工なのか、昔からのものか不明だが、普通の尾根道でわざわざこうした形にしたものはあまり見かけない。

 城跡の遺構としては、「土塁」形状とも見えるが、その割には高さも低く、また北側の尾根の工夫が全く見られないので、要塞施設として見るのは無理がある
【写真左】同上その2
 アップダウンの位置でもこの形状は変わらない。どちらにしても、この範囲は不可解な場所である。








【写真左】この場所で大平山を通り過ぎていたことが分かった地点
 標識をみて、初めて分かった。








【写真左】下山途中の展望台その1
 大平山を背にして南方の雲南市(大東町)方面をみることができる。









【写真左】その2
 上記の場所の近くにさらにもう一つの展望台があり、その付近からは丸倉山(左側)と大平山(右)の間から北方の宍道湖が望める。







【写真左】その3
 大平山遠望










【写真左】その4
 この展望台のある場所を「小丸倉山」というらしい。現地には西方および南方の眺望を示す説明板が設置されている。

2009年11月6日金曜日

大平山城跡・その1(島根県松江市宍道町上来待小林)

大平山城跡(おおひらやまじょうあと) ・その1

●探訪日 2009年11月6日および 10月27日●所在地 島根県松江市宍道町上来待小林
●標高 402m
●指定 未指定
●遺構 郭、腰郭、土塁、堀切

◆解説(参考:宍道町史、県遺跡データーベース等)
 前稿の八重山からいったん西のほうへ下がると、大平山城跡へ向かう道が尾根の北側斜面に設置されている。途中で、北のほうに向かう地点に差し掛かる。ここから少し登りこう配で向かうと、このあたりから大平山城の城域となる。

【写真左】宍道湖方面からみた「幡屋三(連)山」
 国道9号線のある来待付近(宍道湖岸)からみたもので、右の独立した山が「丸倉山」。その左平坦な山並みの中央部に大平山頂部と、大平山城跡がある。さらに左は八重山。




 大平山城については、宍道町史によると、その特徴とされる土塁の跡から考えて、毛利方による築城であったという。もともと尼子氏に対する向城として、先に紹介した丸倉山城とこの大平山城があったが、のちに宍道湖北岸に荒隅城(島根県松江市国屋町南平)ができたことによって、丸倉山城の役目が少なくなり、大平山城は、当城北麓のルート(菅原~小林~和名佐~玉湯町大谷)の抑えとしての陣城だったという。

 特にこの大平山城の場合は、東西につながる幡屋三連山の大平山頂部とは分かれており、独立して北に延びる城域である。連山の大平山頂部(410m)と、ほとんど変わらない高さ(402m)を主郭部に持ち、南北500mに及ぶ長大な規模を持つ。

 さらに、北のほうに向かって下がる傾斜地には、現地で確認できるだけでも5カ所の郭壇を連続して持っている(さらにその先は雑木が多く確認できなかった)。
【写真左】大平山北麓の上来待小林付近からみる。
 写真の左側高い所から右側低いところまで長い土塁を構築した城域である。








【写真左】大平山城の入口付近
 八重山とその間の山を過ぎると、いったん平坦な尾根に出る。ここから北に向かって大平山城が構成されている。写真の道を越えると、すぐに下段の堀切が出てくる。






【写真左】堀切
 この堀切は、南端部になるが、この日探訪したところでは、堀切はこの1カ所のみと思われる。深さは最深で4m前後か。
 底部には写真にあるような大きな岩が2,3個あったが、堀切の施工の際使用されたかもしれない。






【写真左】土塁1
 堀切を過ぎるとすぐに最初の郭と土塁が出てくる。特に土塁については、北に延びていく郭の常に西側に設置されており、相当西側(丸倉山側)を意識した要害施設である。






【写真左】土塁2












【写真左】土塁3










【写真左】本丸?付近
 この写真も土塁を西側にもつ郭部分だが、南北中央部付近が最高所で、その面積もひろい。









【写真左】本丸付近の中央部にあった石群
 石の形状や散在状況をみると、この場所に武運長久かなにかを祈願した祠があったのではないかと思われる。








【写真左】北の方へ伸びる郭、土塁1
 本丸から北へ次第に下がりながら数段の郭が設けられている。ここでも土塁は西側のみに設置されている。しつこいほど徹底されている。








【写真左】北のほうへ伸びる郭、土塁2
 3段目の郭だったと思うが、この場所は特に広く丁寧な削平面をもっている。









【写真左】さらに北方下方の壇を見る
 この位置から先は御覧の通り雑木が繁茂しているため、遺構の確認はしなかったが、北麓の街道を抑える目的なら、おそらく相当下の方まで遺構が残っていると思われる。







【写真左】北方の宍道湖を見る
 北岸に本宮山城(ほんぐうざんじょう)・大野氏(島根県松江市上大野町)が見える。









【写真左】北西方面を見る
 出雲大社方面、日本海がかすかに見える。手前は丸倉山。









【写真左】北北西方面見る
 斐川平野および、宍道湖、その向こうは島根半島の北山の山並み。鳶ヶ巣城もこの位置からみることができる。








【写真左】西方を見る
 手前が幡屋三山の山並み。向こうの山は、左に城平山城(島根県斐川町上阿宮)、その右に高瀬城(島根県斐川町)など。









【写真左】ここからも松江方面が見える。
 特に、大平山城は北側に突き出しているので、視界はさらに広い。和久羅山城跡(島根県松江市朝酌町)も見える。








【写真左】下山後の交差点
左へ丸倉山
右へ八十山(八重山)
奥へ大平山







【写真左】大東町遠所地区にある登城口
 大東町(雲南市)側では、八重山といわず「八十山」というらしい。この道は写真では左側の道になるが、しばらくは普通車で行けるが、途中からは道が少し悪くなる。
 悪路専用の自動車なら、八重山の真下まで行くことができる。

八重山城跡(島根県松江市宍道町上来待)

八重山城(やえやまじょう)

●探訪日 2009年11月6日●所在地 島根県松江市宍道町上来待~雲南市大東町幡屋
●遺跡種別 城館跡、社寺跡
●標高 405(407)m
●遺跡名称 八重山遺跡
●別名  八十山
※参考 島根県遺跡データーベース、宍道町史等

◆解説
 前稿で取り上げた丸倉山を含む、「幡屋三連山」のもう一つの山、八重山城跡を取り上げる。この山については、県の遺跡データベースによると、城館跡とはしているが、山城としてのはっきりとした遺構が認められず、むしろ「社寺」跡として記載されている。

 ただ、丸倉山は別として、大平山と八重山は直線距離で600m前後と短く、さらに同筋の尾根状にあることから、城跡としての機能はもっていないものの、大平山城とかなりの関係をもった社寺であったと思われる。
【写真左】登城口付近
 今回の登り口は、八重山の北麓部にある上来待小林地区の小林公民館脇の道から入って行った。

 ちなみに、八重山登城口としては、このほかに、反対側の南東部・雲南市大東町遠所地区から登るところもある。また、丸倉山方面から行けば、大平山の峰を東に進むと当山に行くこともできる。

 写真は、車で行ける最終地点で、ここまではアスファルトの整備された道になっている。駐車スペースは傾斜があるものの5,6台は十分に留めることができる。

【写真左】登城途中の谷川の石垣
 駐車場から歩きだすと、道幅はあるもののかなりの急こう配の坂道になる。途中まで右側の谷に数カ所写真のような石垣がみえた。

 この写真の石垣の上部には多少の水たまりがあるものの、平坦な面が認められ、畑地跡とも思われるが、昔の砂防ダム的な施設だったかもしれない。



【写真左】八重山東部の尾根
 写真の上部は尾根だが、この付近までの道は一転して狭く、しかも傾斜がさらにきつくなる。ただ、時間的には短い。









【写真左】上記尾根地点
 尾根にたどり着くと、その向こう(南)には、大東側から登る道が見える。この地点に、「雲ヶ峠」という看板がぶら下がっていた。

 写真に見える道からも八重山に向かうことはできるが、あえてこのまま尾根伝いの道を進む。




【写真左】八重山頂上部
 尾根伝いに登っていくと、写真のような景色に出くわす。頂部付近は南北にわたってきれいに周辺の草木が刈られており、非常に視界がいい。

 この写真は南側斜面を東側尾根からみたもの。




【写真左】八重山頂上
 標高405mとある。頂上部は南側に2,3段の削平地をもち、北側はほとんど平坦な面をもっている。

 南の大きな道路側から北の先端部までは、150m前後はあるかもしれない。東西は30m前後か。




【写真左】南側からみた八重山中央部
 想像だが、この南側の数段の削平地に寺院施設としての坊や堂などが建っていたのではないだろうか。

 写真左は、休憩小屋のような建物だが、中央に地蔵が祭られている。





【写真左】裏(北側)からみた地蔵
 この小屋は掘立柱の土間仕上げで、特に中には何もないが、おそらく地元の人によって定期にこの地蔵を祀る行事がされているのではないだろうか。







【写真左】頂部の北側から小屋付近を見る
 前記したように、北側は非常に広く、しかも平坦な仕上がりになっている。









【写真左】頂上から北方方面の眺望説明板
 この位置から見える主な角度は、北東方面(45度)だが、天気が良いと鳥取県の大山(だいせん)も見ることができる(この日は霞んで今一つだったが…)。







【写真左】宍道湖東岸および松江市方面を見る
 天気がもっとよいと、島根半島の山並みのさらに向こうの日本海も見ることができる。







【写真左】八重山頂部西にある大平山への案内板

2009年11月1日日曜日

丸倉山城跡(島根県松江市宍道町・雲南市大東町)

丸倉山城跡(まるくらやまじょうあと)

●探訪日 2009年10月27日●所在地 島根県松江市宍道町上来待~雲南市大東町幡屋
●標高 372m
●遺構 郭 腰郭
●備考 別名 馬鞍山城、真倉山城

【写真左】丸倉山城遠望
 南側下山途中からみたもの










◆解説(参考文献:宍道町史等)

 以前紹介した松江市宍道町の宍道氏・金山要害山城(松江市宍道町白石)のある位置からさらに東南方向へ向かうと、地元では「幡屋三連山」の一つといわれる丸倉山が見える。
 残りの山は、大平山城跡(島根県松江市宍道町上来待小林)(410m)、八重山城跡(島根県松江市宍道町上来待)(407m)で、いずれも現在の松江市と雲南市の境界線上に頂部を持つ。

 八重山も大平山と接近しているので島根県遺跡データーベースでは山城として登録されているが、明確な遺構は残っていない。ただこの山は、寺院跡としての可能性が高いとしている。

 さて、丸倉山城については、戦国期の軍記物に直接当城の名前が出てくることは少ないが、当山の南麓部にある幡屋という地区については、尼子・毛利合戦の際、少なからず出てくるところである。

【写真左】登城口付近
 南側幡屋西谷地区にある登城口。登城ルートはこの場所から2つのコースがあり、今回は西端側の単独ルートから登った。





 宍道町史によれば、この丸倉山に築城を命じたのは毛利氏で、普請にあたったのは、地元の大西・立原ら国人領主だったという。

 役割としては向城だが、位置的な観点からも、単なる近場の敵城を攻め落とすことよりも、月山富田城を中心とする近在の尼子方諸城を意識したもので、そのためにこの付近から俯瞰できる範囲は相当広い。

 宍道湖周辺はもちろん、南方もかなりの視界をもって確認できる場所である(現在は雑木があり視界は良くないが)。

 現在の遺構として、主郭部分についていえば、三方の尾根にそれぞれ、数段の郭を配した放射状連郭式の形状を持つもので、上面の削平の丁寧さの割に、側壁部は粗雑な施工で、切崖の防御効果はほとんどない。
 さらにこの山城はそれらを多少補うはずの土塁の施工もあまり意識されていない。
【写真上】丸倉山・大平山・八十山案内図  写真が少し小さいが、丸倉山から下りる途中から大平山方面へいくルートがあり、道幅も広く整備されている。赤い部分が今回登り始めた位置。



 なお、主郭部は変形の三角形で、南北に縦長く、長径最大約50m、短径約30m(中央部の仏像設置位置が少し高い)。

 城郭全体の大きさは、南東部の郭5段最下部から北側郭3段先端部までが約100m、西側郭4段下から主郭中心部までが約40m程度ある。

【写真左】丸倉山登城路
このコースもだいぶ利用されているようで、歩きやすい。









【写真左】登城途中の大平山方面との分岐点
写真上のほうが丸倉山方面、右が大平山方面の道








【写真左】井戸跡らしき窪み
 上記分岐点には少し広い平坦地があり、その南東部に写真のような窪みがあった。直径は2m程度か。

 ときどき、大木が根こそぎ倒れ、そのあとにこうした形状をもった窪みが残るが、位置的にはこのあたりに井戸があったとしても不自然ではない。




【写真左】登城途中からみた西方の山並み
 この位置から西の斐川方面をさえぎるものがなく、非常によく見える。

 写真の左端は、城平山城で、中央部の平坦なところが高瀬山城。その奥にかすんで見えるのは、仏教山(カンナビ山)、右端のとがった山が大黒山。




【写真左】本丸入口付近
 登城路はほぼ南側から登り、城郭の南面中央部にいきつく。この直前までが少し傾斜がきつく、かなり休憩しながら登った。









【写真左】本丸跡その1
 主郭のほぼ中央部に仏像が二対安置されている。









【写真左】本丸跡その2
 表示板があるが、だいぶ古くなっている。











【写真左】本丸跡その3
 主郭の南東部に先ほどの窪みより、2倍程度の大きさのものがある。これも井戸跡と思われるが、県遺跡データーベースには記載されていない。

 仮に井戸跡だったとすると、相当深くないと山の形状から考えて水の確保が難しいものだったと思われる。



【写真左】本丸跡その4
 西側の二段目郭付近。西側郭は東南部に比べ幅が狭く、傾斜がきつい。










【写真左】本丸跡その5
 南東部方向の郭4,5段目から本丸方向を見る。

この方向の郭は奥行きがあり、広さも大きい。なお、先端部の先は原野のままだが、大平山方向に短距離で行けるような道跡が見られた。




【写真左】本丸跡その6
この場所からほぼ真北に見た景色で、中央左のとがった場所は、来待川河口部で、宍道湖に流れる。








【写真左】本丸跡その7
 北東方面に松江市街を見る。この日はだいぶ靄がかかっており、不鮮明だが、天気のいい日には宍道湖周辺は相当はっきりと見えるようだ。







【写真左】本丸跡その8
 南方向の大東町、加茂町方面を見る。写真中央の小さな突起した山が、高麻城跡になる。









【写真左】本丸跡その9
 市境の杭。手前の黄色いほうが、大東町(雲南市)で、向こう側が宍道町(松江市)になる。