2016年3月16日水曜日

備中・坂本城(岡山県高梁市成羽町坂本 西江邸)

備中・坂本城(びっちゅう・さかもとじょう)

●所在地 岡山県高梁市成羽町坂本1604
●別名 坂本村山城
●備考 西江邸
●築城期 戦国時代
●築城者 西江大蔵清成
●城主 西江氏
●高さ H:330m(比高70m)
●遺構 石垣・近世建築等
●登城日 2014年11月24日
 
◆解説(参考資料 HP「奥備中 西江邸」等)
 本業とは別に、晩年はライフワークとなった放浪芸など、芸能の歴史を研究し続け、自らはその話芸に独特の境地を開いた多才な俳優がいた。小沢昭一氏である。1973年から2012年まで放送されたラジオ番組「小沢昭一的こころ」は、ほとんど車の運転中に聴いていたが、絶妙の話芸に陶酔し、笑ったり、時には涙腺が緩んだりと、随分と楽しませていただいた。
【写真左】西江邸(備中・坂本城)
 現在の姿は宝永2年(1705)、郡中惣代庄屋になったころ建てられた建物が基礎となっている。
 因みに、その2年前の元禄16年は、赤穂浪士46(47)名が切腹を命じられている。


 ところで、小沢氏最後の映画出演となったのが、2007年封切りの映画「釣りバカ日誌18」だったと思う。この映画では、岡山で政財界に強い影響力を持つ陰の実力者・渋谷剛三という役で出演している。
 その中で、渋谷の屋敷という設定で、歴史のある豪邸が紹介された。これが室町末期より当地に居住し、地方豪族として、戦国時代から江戸時代にかけて隆盛を極めた「西江邸」である。

【写真左】案内図
 現在地と書かれた箇所にあるもので、色が大分薄くなっていたため、管理人によって加筆している。
 上方が北を示す。
【写真左】吹屋に向かう県道85号線から坂本城を俯瞰する。
 坂本から分岐して吹屋に向かう県道85号線は急坂道の九十九折れとなるが、途中から天神山や、西江邸が俯瞰できる。




西江邸

 備中(岡山県)高梁市成羽町には、江戸期にベンガラ製造で栄えた吹屋地区がある。吹屋から県道85号線を西の坂本川沿いに降っていくと、県道33号線(吹屋街道)と合流するが、この場所が坂本という地区である。そして、交差点から少し南に向うと、「西江邸」という看板が見える。
【写真左】バス停前の案内標識
 南北に走る吹屋街道(県道33号線)の脇に看板があり、道路を挟んで反対の東側に専用駐車場が設置されている。
 車はここに停め、歩いて西江邸に繋がる坂道を登っていく。
【写真左】駐車場側から西江邸方面を見上げる。
 手前の道が吹屋街道で、高台に見えているのは西江邸の屋敷ではなく、広い平坦地に南北に長い建物(何らかの施設か)が建っている。
 西江邸はこの建物のさらに上の段に建てられている。



初代・西江大蔵清成
       坂本(村山)

 西江氏の家譜によれば、出自は関東の三浦氏とされる。
 三浦氏といえば、隣接する美作・高田城(岡山県真庭市勝山)の三浦氏が、既に南北朝時代に足利尊氏から教書を送られており、当城の三浦氏は鎌倉時代に遡ったころ既に当地(美作)に下向していたとされるので、西江氏も実際には南北朝期に、美作三浦氏の分流となり、備中国成羽に赴いたものだろう。
【写真左】西江邸に向かう坂道
 車は道路側の駐車場に停めて、歩いて向かう。北側の谷に設置された急坂道で、高低差があるため、途中で何度も休憩をとった。


 初代・西江大蔵清成はこの坂本に住み、山城(坂本村山城)を守る地侍となり、天正の乱で武勲を挙げ、毛利輝元より200町歩の土地を与えらえれた。関ヶ原の戦いで毛利氏敗退により、武士を捨て帰農した。
 江戸時代に入ると、この地は天領となり、西江家は1705年、郡中惣代庄屋として代官御用所となった。
【写真左】古墓群
 ほぼ登りきったところで、左側にご覧の墓石群が見えた。
 五輪塔や宝篋印塔形式のもので、おそらく散在していたものをこの場所に集めたものだろう。
 西江氏一族のものと思われる。


 現在の西江邸には、今も第18代当主が居住され、当時の館構えのまま、白洲(しらす)、郷蔵、駅馬舎、手習い場など往時の姿をそのまま残している。

 さて、初代清成が地侍となったとき、坂本村山城という山城を守ったと記されている。西江邸が坂本城であることを標記するものは現地にはなく、また具体的な史料も今のところ見出されていない。

 しかし、探訪したこの日、同氏18代当主の奥様にお会いし、そのことを確認したところ、当屋敷(西江邸)の前身は坂本城であったと聞いています、との返事だった。
【写真左】入口付近
 凡そ200m程登っていくと、やがて風格のある門が出迎えてくれる。
 現在は写真のように石積で高くし、舗装された道路となっているが、当時はこのあたりまで郭段が構成されていたのだろう。


 このことから、件の山城そのものが現在の西江邸を中心とした高台であったと思われ、居城としていたと考えられる。
 ただ、比高がさほど高くないため、平時はこの城郭(坂本城)にあって、有事の際の詰ノ城は、さらにここから尾根伝いに登った天神山(H:777m)もしくは、その尾根筋上にあったのかもしれない。
【写真左】門手前から振り返る。
 写真左に西江邸の建物があり、右側の登ってきた道との間は、ごらんのような大きな窪みがある。
【写真左】井戸跡か
 上の写真にも見えているが、道路脇の下には板で蓋をした四角いものが見えている。おそらく井戸跡と思われる。
【写真左】北側に延びる平坦部
 ほぼ登りきったところの東側には、北に向かって次第に細く伸びた郭状のものが残る。

 城郭の時代にはこの辺りが一番街道筋を俯瞰できるので、物見台があったかもしれない。
 この一角に朽ち果てた祠があった。

 邸内を見学(有料)したあと、坂を下りて東側の谷に向かう。
【写真左】北側の谷
 写真に見える川は、坂本川でここから左に向きを変え吹屋街道と並行して南下し、成羽川と合流する。
 西江邸は写真中央部樹林の奥にある。
 この川が濠の役目をしていたものと思われる。

 
【写真左】辰口八幡神社
 川を挟んで北側には辰口八幡神社が祀られている。

 弘安2年(1279)豊後国(大分県)の宇佐八幡宮の御玉串をいつき帰り、龍ノ口山に鎮祀したのに始まるという。

 弘安2年といえば、文永の役(1274)と弘安の役(1281)の間にあたり、その間に朝廷が全国の諸社寺に対し、異国降伏の祈祷を命じている。
 坂本の辰口八幡社創建期は不明だが、西江氏が関わった可能性が高い。

 なお、龍ノ口山というのは、現在の岡山市中区四御神にある標高256mの山で、北麓に龍の口神社が祀られている。


【写真左】辰口八幡神社から西江邸側を見る。
 上の段にさきほどの道があり、かなりの高さを感じたが、下から見るとさらにその険峻さを再認識させられる。

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