亀尻城(かめじりじょう)
●所在地 鳥取県鳥取市青谷町亀尻
●別名 亀後城
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 石田主膳
●高さ 標高50m前後(比高40m前後)
●遺構 郭・堀切
●登城日 2013年2月1日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第14巻』等)
鳥取県は旧国名でいえば、因幡国と伯耆国の二国で成り立っている。伯耆・因幡両国を往来する道は、現在山陰道(青谷羽合道路)が繋がり、短時間でいけるようになったが、伯耆側の湯梨浜町から因幡側の青谷町に向かう道としては、日本海側の入り組んだ海岸部をくねくねと走る山陰道(国道9号線)が示すように、中世には難所の一つでもあった。
しかも、伯耆側から因幡側の青谷町に入ってからも、さらに、夏泊の峠を越える道が控え、陸路での往来は困難を極めていたという。
このため、上述した夏泊などは江戸時代には北前船の寄港地としても利用されるように、船舶による海上交通が盛んになっていった。
【写真左】亀尻城遠望
北東部にある日本海に突出した長尾鼻展望台から見たもの。
手前に夏泊の港があり、青谷海水浴場の西側に注ぐ勝部川をさかのぼっていくと、亀尻城が東側に突出している。
さて、今回取り上げる亀尻城はその因幡国西端部の青谷町に築かれた小規模な城塞であるが、同町にはこのほかにも下記の山城が確認されている。
●所在地 鳥取県鳥取市青谷町亀尻
●別名 亀後城
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 石田主膳
●高さ 標高50m前後(比高40m前後)
●遺構 郭・堀切
●登城日 2013年2月1日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第14巻』等)
鳥取県は旧国名でいえば、因幡国と伯耆国の二国で成り立っている。伯耆・因幡両国を往来する道は、現在山陰道(青谷羽合道路)が繋がり、短時間でいけるようになったが、伯耆側の湯梨浜町から因幡側の青谷町に向かう道としては、日本海側の入り組んだ海岸部をくねくねと走る山陰道(国道9号線)が示すように、中世には難所の一つでもあった。
しかも、伯耆側から因幡側の青谷町に入ってからも、さらに、夏泊の峠を越える道が控え、陸路での往来は困難を極めていたという。
このため、上述した夏泊などは江戸時代には北前船の寄港地としても利用されるように、船舶による海上交通が盛んになっていった。
【写真左】亀尻城遠望
北東部にある日本海に突出した長尾鼻展望台から見たもの。
手前に夏泊の港があり、青谷海水浴場の西側に注ぐ勝部川をさかのぼっていくと、亀尻城が東側に突出している。
さて、今回取り上げる亀尻城はその因幡国西端部の青谷町に築かれた小規模な城塞であるが、同町にはこのほかにも下記の山城が確認されている。
- 露谷城 同町露谷 別名北鼻城・鉢伏山城。城主・石田氏
- 蔵谷城 同町善田 別名奥谷城
- 国屋城 同町青谷 国屋氏居城
- 早牛城 同町早牛 早牛集落の下供養塚の上にある。
- 不動山城 同町鳴滝 勝部谷の不動山に築城
【写真左】亀尻城近影・その1
西側を流れる勝部川対岸から見たもので、南側から伸びた丘陵部先端部に築かれていることがよく分かる。
【写真左】亀尻城近影・その2
上の写真の続きで、南に延びる尾根部分。
写真ではわかりにくいが、中央やや左側には堀切があり、現在その箇所は公園化された施設に向かう道に改変されている。
このほか、青谷町外のもので、既に紹介した近隣のものとしては次のものがある。
さて、亀尻城も含め、青谷町にある城砦に関しては残念ながら手元に全く資料がないため、詳細は不明だが、唯一当城の城主が石田主膳なる武将であったという記録が残る。
【写真左】登城道
本丸跡まではこのような簡易舗装が途中まで施工されている。
堀切とされている箇所は、この写真の左側で、手前にはもう一つ分岐した林道が南に向かっている。
【写真左】貯水タンク
下段で紹介するように、城域の南側には貯水タンクが設置され、周辺部もこの施設のために大幅に改変されている。
【写真左】城山公園化推進事業協賛者の看板
平成15年の日付で、青谷町長はじめ、地元の方々の芳名が列記されている。
【写真左】北側からタンク方面を見る。
手前の削平地も公園化のため改変されたものと思われ、さらにそこから南に向かって盛り土が施工されている。
この辺りは殆ど遺構は消滅しているようだ。
【写真左】小郭
北側には2,3段の郭らしき箇所が見えるが、明瞭でない。
【写真左】露谷城遠望
前記したように、亀尻城の東方に延びる尾根には亀尻城より標高の高い露谷城が見える。登城道など不明だが、遠望する限り亀尻城より規模が大きいようだ。
この城の城主も「石田氏」という記録が残ることから、亀尻城の詰城だった可能性もある。
【写真左】登城道
本丸跡まではこのような簡易舗装が途中まで施工されている。
堀切とされている箇所は、この写真の左側で、手前にはもう一つ分岐した林道が南に向かっている。
【写真左】貯水タンク
下段で紹介するように、城域の南側には貯水タンクが設置され、周辺部もこの施設のために大幅に改変されている。
【写真左】城山公園化推進事業協賛者の看板
平成15年の日付で、青谷町長はじめ、地元の方々の芳名が列記されている。
【写真左】北側からタンク方面を見る。
手前の削平地も公園化のため改変されたものと思われ、さらにそこから南に向かって盛り土が施工されている。
この辺りは殆ど遺構は消滅しているようだ。
【写真左】小郭
北側には2,3段の郭らしき箇所が見えるが、明瞭でない。
【写真左】露谷城遠望
前記したように、亀尻城の東方に延びる尾根には亀尻城より標高の高い露谷城が見える。登城道など不明だが、遠望する限り亀尻城より規模が大きいようだ。
この城の城主も「石田氏」という記録が残ることから、亀尻城の詰城だった可能性もある。
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