鳥ノ子山(とりのこやま)
●所在地 島根県松江市法吉町~鹿島町
●高さ 253m
●遺構 削平地・物見台か
●備考 天狗山
●登城日 2012年1月18日
◆解説(参考文献『島根県の山(山と渓谷社)』『新雲陽軍実記』等)
前稿「真山城」の写真で少し紹介している「鳥ノ子山」周辺を取り上げる。
真山城主郭を過ぎ、北の稜線に向かうと、一旦鞍部となった「持田越し」という地点に出る。ここから寺床・本谷口方面につながるが、そのまま尾根筋をたどり、急坂を一気に登ったところが、「あかはげ山」といわれたところである。
【写真左】あかはげ山
文字通り赤茶色の地肌が露出している箇所で、この一角だけ草木があまり生えていない。
あかはげ山をすぎると、尾根筋は次第に西に旋回し「鳥ノ子山」の稜線へつながっていくが、途中で幅の広い削平地が確認できる(下段写真参照)。
この箇所は尾根ルートの北東部となり、このあたりから北方方面の視界が開けていく。
【写真左】削平地
この付近ではもっとも幅の広い尾根で、しかも平坦地となっている。
【写真左】鳥ノ子山手前の眺望箇所
鳥ノ子山手前の尾根筋だが、写真にあるようにこの箇所だけ北側に大きな岩が残り、北方方面の見晴しがいい。
写真の奥に見える山は、おそらく大平山(502m)だろう。
このあと、さらに西に向かうと「鳥ノ子山」に至るが、さすがに屹立した山であるため、距離は短いものの、急坂となっている。
【写真左】鳥ノ子山・その1
頂上部に設置された看板。
大分年数が経っているいるため、文字がかすれているが、「鳥ノ子山」と読める。
【写真左】鳥ノ子山・その2
頂上部は5,6m四方と狭いが、フラットな面になっている。
【写真左】鳥ノ子山・その3
南東方向に真山城を遠望したものだが、麓から眺めた真山城の形と大分違い、南端部の傾斜がかなりのものであることが分かる。
また、頂部である主郭から並行して南に延びる「一の床」までの長さが相当あり、尼子氏や毛利氏らが大挙して陣を構えたことが改めて実感できる。
【写真左】鳥ノ子山・その4
北西方向に日本海を見る。
鹿島港から出向した船が見える。視界がもっと良いと、おそらく隠岐の島が見えるだろう。
【写真左】白鹿谷との分岐点
鳥ノ子山を過ぎると、今度は南方向へのコースとなる。
左側に降りると、白鹿谷につながる。今回はこのまままっすぐ南に向かう。
なお、鳥ノ子山周辺部には明確な遺構は確認できなかったが、このあたりも尼子・毛利の合戦の舞台となったことは間違いないだろう。
特に、永禄5年(1562)の「白鹿城 二の城戸大合戦」では、毛利方が白鹿城を落とすべく、全周囲を包囲している。
次稿は、鳥ノ子山からさらに南の稜線へ向かった「大高丸跡」「白鹿山城砦跡群」エリアを取り上げたい。
●所在地 島根県松江市法吉町~鹿島町
●高さ 253m
●遺構 削平地・物見台か
●備考 天狗山
●登城日 2012年1月18日
◆解説(参考文献『島根県の山(山と渓谷社)』『新雲陽軍実記』等)
前稿「真山城」の写真で少し紹介している「鳥ノ子山」周辺を取り上げる。
真山城主郭を過ぎ、北の稜線に向かうと、一旦鞍部となった「持田越し」という地点に出る。ここから寺床・本谷口方面につながるが、そのまま尾根筋をたどり、急坂を一気に登ったところが、「あかはげ山」といわれたところである。
【写真左】あかはげ山
文字通り赤茶色の地肌が露出している箇所で、この一角だけ草木があまり生えていない。
あかはげ山をすぎると、尾根筋は次第に西に旋回し「鳥ノ子山」の稜線へつながっていくが、途中で幅の広い削平地が確認できる(下段写真参照)。
この箇所は尾根ルートの北東部となり、このあたりから北方方面の視界が開けていく。
【写真左】削平地
この付近ではもっとも幅の広い尾根で、しかも平坦地となっている。
【写真左】鳥ノ子山手前の眺望箇所
鳥ノ子山手前の尾根筋だが、写真にあるようにこの箇所だけ北側に大きな岩が残り、北方方面の見晴しがいい。
写真の奥に見える山は、おそらく大平山(502m)だろう。
このあと、さらに西に向かうと「鳥ノ子山」に至るが、さすがに屹立した山であるため、距離は短いものの、急坂となっている。
【写真左】鳥ノ子山・その1
頂上部に設置された看板。
大分年数が経っているいるため、文字がかすれているが、「鳥ノ子山」と読める。
【写真左】鳥ノ子山・その2
頂上部は5,6m四方と狭いが、フラットな面になっている。
【写真左】鳥ノ子山・その3
南東方向に真山城を遠望したものだが、麓から眺めた真山城の形と大分違い、南端部の傾斜がかなりのものであることが分かる。
また、頂部である主郭から並行して南に延びる「一の床」までの長さが相当あり、尼子氏や毛利氏らが大挙して陣を構えたことが改めて実感できる。
【写真左】鳥ノ子山・その4
北西方向に日本海を見る。
鹿島港から出向した船が見える。視界がもっと良いと、おそらく隠岐の島が見えるだろう。
【写真左】白鹿谷との分岐点
鳥ノ子山を過ぎると、今度は南方向へのコースとなる。
左側に降りると、白鹿谷につながる。今回はこのまままっすぐ南に向かう。
なお、鳥ノ子山周辺部には明確な遺構は確認できなかったが、このあたりも尼子・毛利の合戦の舞台となったことは間違いないだろう。
特に、永禄5年(1562)の「白鹿城 二の城戸大合戦」では、毛利方が白鹿城を落とすべく、全周囲を包囲している。
次稿は、鳥ノ子山からさらに南の稜線へ向かった「大高丸跡」「白鹿山城砦跡群」エリアを取り上げたい。
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