2011年5月27日金曜日

岩屋城・その2(岡山県津山市中北上)

岩屋城・その2

はじめに
 今稿では岩屋城附近に残る史跡関係を抜粋しておきたい。

西尾興九郎屋敷跡
 岩屋城に向かうには、南麓を走る国道181号線から入るが、この国道は旧出雲街道とよばれた。
 この国道から北に平行して走る地元の生活道路(これが出雲街道)があり、そこに写真にある案内標柱が建っている。
【写真左】西尾興九郎屋敷跡の案内板
 写真の民家の裏に当たるようだが、民有地であるため、当日はそこまで行っていない。

 その1でも少し紹介している「落とし雪隠(せっちん)」という切崖を使って、毛利方32名が、天正9年(1581)6月、ここからよじ登り攻略した。

 この時のリーダーは、中村頼宗だが、西尾興九郎は、その中の一人で、攻略後頼宗はそれまでの居城だった葛下城(岡山県鏡野町中谷)から岩屋城の城主となり、西尾興九郎はこの南麓に屋敷を構えたという。

 なお、葛下城には、同じく軍功のあった桜井直豊が入った。この葛下城は登城していないが、かなり見ごたえのある山城のようだ。

原田屋敷跡
 この屋敷についての由来は案内板に書かれていなかったようで、はっきりしないが、下山途中に見える位置で、現在は御覧の通り田圃となっている。
【写真左】原田屋敷跡













荒神の上砦跡
 その1の概要図には掲載されていないが、原田屋敷跡と同じく、登城口より手前の道から見える砦跡で、岩屋城の前線基地としての役目を担ったものだろう。
【写真左】荒神の上砦
 南北に長い尾根伝いに設置されたもので、現在は大半が植林された杉山となっている。





出雲街道
 写真の右に見える道で、国道181号線はさらに右を走っている。写真奥が津山市方面。
【写真左】出雲街道

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