2010年7月26日月曜日

乙見城(島根県大田市仁摩町馬路)

乙見城(おとみじょう)

●所在地 島根県大田市仁摩町馬路
●登城日 2010年4月16日
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 不明
●標高 313m
●遺構 郭

◆解説(参考文献「島根県の山(山と渓谷社)」「島根県遺跡データベース」等)

 国道9号線の大田市仁摩町馬路にある城跡だが、乙見城よりもその南麓に聳える「馬路高山(まじたかやま)(499.4m)」の方が有名で、地元登山者に親しまれている山である。
 登城口までに向かうには、国道9号線の馬路バス停近くの狭い道を登っていくが、団体の登山者の場合は、駐車場として国道9号線側に広い駐車スペースがあるので、そちらに停めた方がいい。
 また、現在山陰道の部分設置工事が、ちょうどこの付近で行われている。ダンプカーなどが時々この狭い道を往来するので、前記した駐車場に止めて、あとは歩いた方が無難かもしれない。

 乙見城についての詳細な記録は残っていないが、この場所から南東へ4,5キロ向かうと石見銀山があったことから戦国期、小笠原・尼子・大内・毛利が度々合戦を行ったと伝えられている。
【写真左】乙見城遠望
 国道9号線から狭い道を登っていくと、途中で高山に向かう道と、東部の集落に向かう道の分岐点があり、この位置に車2台分のスペースがある。
 この場所から写真に見える山が乙見城跡である。主郭付近までは歩いて5分程度であるが、近年は誰も登っていないようで、道は荒れ気味である。
【写真左】駐車付近から東方に三瓶山を見る
 この日は少しかすんで見えたが、秋季には眺望を楽しめるだろう。
【写真左】乙見城跡付近から馬路高山を見る
 当城の区域は、以前キャンプ地となっていて、写真にみえる建物は炊事場跡。大分前にキャンプ場は廃止されているようだ。
写真左】郭跡
 キャンプ場を開設した時点で、どの程度遺構が改変されたか、あるいは消滅したのか不明だが、山の規模から考えて大幅な変化はなかったと思われる。
 写真の位置は最高所付近で、おそらくこのあたりが主郭だろう。奥に向かって次第に稜線が下がり、左側には旧道のような痕跡があった。
【写真左】腰郭跡
 当城の中でもっとも明確に残っているところで、郭段は5段程度の構図となっている。また東側は切崖状態で、西側が大手と思われる。

【写真左】馬路高山遠望
 乙見城の麓から見たもので、当日は高山登城道入口に鎖で進入禁止の看板が設置されていた。
 なお、高山の西麓に「城上山(411m)」が連立しているが、呼称から山城を連想するが、どうやら関係ないようだ。
【写真左】五輪原といわれた個所
 乙見城から馬路高山の北東麓に道があり、その道から北側の平坦地が数百メートルにわたって続く。この場所が「五輪原」と呼ばれ、戦国期の尼子・毛利等の合戦の舞台となったという。

【写真左】「五輪塔」と呼ばれた墓石
 写真に見えるように、これは形式からいっても「五輪塔」ではなく、「宝篋印塔」である。しかし、すでに地名が「五輪原」などとされているので、今さら「宝篋印塔原」と訂正することもできない。
 道路わきにあるが、周辺の雑草を除草しないと、覆われて見えなくなる恐れがある。
 なお、この宝篋印塔は一基しかなく、しかもその規模は思った以上に大きい。名のある武将のものだろう
【写真左】旧道
この道も石見銀山街道の一つのようで、銀山から馬路方面に繋がる道だったのだろう。

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