2010年1月21日木曜日

明石城(兵庫県明石市明石公園1-27)

明石城(あかしじょう)

●所在地 兵庫県明石市明石公園1-27
●探訪日 2009年3月1日
●築城期 元和5年(1619)
●築城者 小笠原忠真
●形式 連郭梯廓混合式平城
●別名 喜春城、錦江城
●指定 国重要文化財(巽櫓・未申櫓等)、国の史跡
【写真左】明石城その1

◆解説(参考「サイト明石公園」など)
 明石城は、このブログでいえば、「山城」ではなく、典型的な近世城郭だが、前稿「三木城」探訪の折、時間があったことから当城にも足を運んだ。

【写真左】城跡も含めた明石公園の案内図

 当城については、これまで多くのサイトや資料で紹介されているので、詳細は省くが、現地に足を踏み入れると、その優美さと市民に親しまれている公園とがうまくマッチして、散策していても気持ちのいい城跡である。

●初代城主小笠原氏から始まり、藤井松平家、そして越前松平家など17代の城主が、めまぐるしく引き継いでいる。
 この内容を見ると、在任期間の長期なものと、極めて短い期間のものとが極端に混在している。
【写真左】明石城その2
 石垣もスケールが大きく、見ごたえがある。
【写真左】石垣
 長期政権の者は、第9代松平直常で43年、逆に短いものは、幕末の松平直致の5カ月は別として、初代小笠原氏の跡には、幕府直轄扱いとなって、本多忠義、同正勝のときはそれぞれ6カ月である。
 当然ながら、両人は結局2代目の記録として残らず、4人目の当主松平康直が2代目となっている。

 当時、特に近世城郭を引き継いだ藩主・当主の2代目から、3、4代目あたりは不安定なところが意外と多い。その結果、初代の禄高10万石も減じられ、6~8万石のままとなった。もっとも幕府の介入が一番厳しい時期であったことも事実だが。  
【写真左】明石城その3
【写真左】明石城その4
 この土塁の厚さは規模が大きい。
【写真左】明石城から明石の町並みを見る
 写真左奥には明石海峡大橋が見える。

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