2009年1月18日日曜日

著書名「山陰の武将」「続・山陰の武将」など

山陰地方の中世武士を調べる際、しばしば参考にしている著書が下記の2書である。



(1)著書名 「山陰の武将」
昭和49年6月30日 初版発行
著者 藤岡大拙・藤澤秀晴

(2)著書名「続 山陰の武将」
昭和50年9月1日 初版発行
著者 藤岡大拙・藤澤秀晴・日置粂左衛門

発行所はいずれも地元の新聞社である山陰中央新報社による。

(1)の本に取り上げている武将には、名和長年、塩冶高貞、三隅兼連、尼子経久、山中鹿之助、坂崎出羽守、堀尾吉晴の7名。

(2)には、南條宗勝、神西元通、杉原盛重、赤穴久清、立原源太兵衛、米原綱寛、吉川経家、亀井茲矩、松平直政の9名が取り上げられている。

(1)の著者はいずれも、地元島根の方で、藤岡氏は元島根県立女子短大学長。現在斐川町にある荒神谷博物館の館長である。その傍らこれまで出雲地方を中心とした古代史(出雲風土記など)から中世、近代にわたり多くの研究論文を発表、さらに最近では「出雲弁」という地元の方言のほうにも研鑽をつまれている。その語り口もユーモアたっぷりで、講演会の依頼も多い。

藤澤氏は藤岡氏と同級生で、元平田市立図書館長。これまで高校の教師を務めながら県内の多くの郷土史等の編纂に当たってこれらた。
本書のあとがきに、お二人はつぎのような文章を載せている。

“……わが山陰にも、雄叫びするどく戦陣にあけくれた多数の武将がいた。彼らの多くは、中央史に足跡を印するほど有名ではない。中にはほとんど忘れれてている人物もある。だが、彼らもまた、歴史の断層に赤裸な人間性と、ひたむきな生を映し出した、魅力ある武将たちだった。

 私たちは、昭和初期の暗い谷間の時代に生まれた。そして同じ中学校の一年生のとき、日本の敗戦を経験した。戦前の価値体系の崩壊は、少年期の私たちに大きな衝撃を与えたが、同時に、権力のベールに包まれた従来の日本の歴史の真の姿について、強い関心を持つようになった。中学から高校へ、私たちは机を並べて歴史を語り合った。そして大学でも、二人は当然のことのように歴史学を専攻した。


 私たちはそこで新しい歴史学の洗礼を受けたのだが、歴史の中の人間に対する愛着は失わなかった。敗戦の衝撃によって、人間の営為のむなしさを感ずるより、歴史のきびしい条件の中で、個人がいかに生きていったかに興味をもった。「いつか二人で郷土の人物を書こう」ともに高校の歴史教師になった私たちは語りあったものだ。それが、山陰中央新報社のご好意で実現することになった。……”

お二人とも昭和7年生まれなので、上記の本を上梓されたのは、42,3歳ごろである。少年期からの夢を失うことなく、こうして生まれた背景を読むと、執筆者の熱意が伝わってくるようである。 

(2)のほうは、執筆者にお隣鳥取県の日置氏が加わり、南條宗勝を担当している。

0 件のコメント:

コメントを投稿