2017年3月9日木曜日

美作・河原山城(岡山県津山市市場)

美作・河原山城(みまさか・かわはらやまじょう)

●所在地 岡山県津山市市場
●指定 津山市指定史跡
●築城期 不明
●築城者 広戸氏
●形態 平城(居館)
●高さ 標高263m(比高10m)
●遺構 郭・空堀等
●備考 本丸城・国司尾館
●登城日 2015年6月1日

◆解説(参考資料 HP 『城郭放浪記』、『日本城郭体系』等)
 河原山城は、美作と因幡をつなぐ因幡街道の北方にあって、大別当城(岡山県勝田郡奈義町高円)の城主・有元満佐の次男佐友が広戸氏を名乗り、居館を本丸城とし、詰城を矢櫃山城とした。その際、支城として築城されたと思われるのが、この河原山城である。

 因みに、河原城の南に既述した本丸城があり、東には国司尾館などがあり、おそらく当時はこれら三城は一体の城郭としてあったものだろう(HP『城郭放浪記』参照)。
【写真左】河原山城遠望
 北側からみたもので、左側は国司尾館。
【写真左】墓地
 当城には案内板のようなものはいっさいない。

 このため、登城口を探していた所、南側に墓地が見えたので、ここから向かった。
【写真左】慰霊塔か
 筆耕された文字が少し劣化しているため、判読が困難だが、「大各霊政◇塔」という文字が確認できる。
【写真左】五輪塔
 他の墓石に混じって五輪塔が一基祀られている。
【写真左】このあたりから登城する。
 道らしきものがなかったため、歩きやすいこのあたりから上に向かう。
【写真左】空堀・その1
 登り始めた途端、西側に見えたもので、深さは1m前後。

 このまま、空堀を奥に進む。
【写真左】空堀・その2
 奥に従って、明瞭になってきた。
【写真左】腰郭か
 更に進むと、次第に左側の土塁状の高まりは無くなり、腰郭のような状況となっている。
【写真左】北側に回り込む。
 熊笹などに覆われてはっきりしないが、堀切のようにも見える。
 このような状況なので、この中まで踏み込むのは断念した。
【写真左】南東麓
 再び南側に降りて、東側を撮ったもの。奥に見えるのが、国司尾館だが、この日は時間もあまりなく、向かうのを断念した。

 このあと、本城側北端に少し向かう。
【写真左】墓地
 本城側の城域に入っていると思われるが、ここにも小規模な墓地がある。

 墓石の中で、「塘院…」とか「臨院…」などという戒名が筆耕されたものが点在している。菅氏との繋がりがあるのかもしれない。
【写真左】南側から遠望する。
【写真左】北側から遠望する。

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