2012年11月28日水曜日

小馬木八幡宮砦(島根県仁多郡奥出雲町小森)

小馬木八幡宮砦(こまきはちまんぐうとりで)

●所在地 島根県仁多郡奥出雲町小森 五十田
●築城期 不明(室町期か)
●築城者 馬来氏
●城主 馬来氏
●形態 城館跡(砦)
●比高 30m前後
●備考 小馬木八幡宮境内地内、小林城関連砦
●登城日 2008年8月25日

◆解説
 前稿小林城(島根県仁多郡奥出雲町小馬木城山)に続いて、馬来氏関連史跡として、近くにある小馬木八幡砦を取り上げたい。

 実は当砦跡を探訪したのは、4年も前の2008年であったが、馬来氏に関する情報が不明であったため、しばらく保留していた城砦である。
【写真左】小馬木八幡宮砦遠望
 東から見たもので、この写真は2012年11月27日撮影のもの。









 残念ながら当砦については『日本城郭体系第14巻』には記載されていないが、島根県遺跡データベースには登録されている。

 同砦はその名称からも分かるように、現在八幡宮として社が建つ。場所は、小林城からさらに南に登った小森という地区にあり、東の川東と南の中原という地区の分岐点にあたる。

【写真左】鳥居
 










また、東側から流れてきた小森川と小馬木川が合流する位置で、独立した小丘に立つ城砦である。おそらくこの両川が濠の役目をしていたものと思われる。
 
 この場所から東にむかうと、大馬木に至りさらにそこから2、3キロほど南に向かったところに馬来氏の居城・夕景城がある。

 さて、当砦は神社となっていることもあり、遺構などは改変されたようだが、地取りから考えて、重要な場所であったことが推測できる。

 規模は南北200m余×東西50mの規模を持ち、最高所は比高30m前後。
【写真左】本殿前の門
 この門の脇にはは、「天保7年 丙申3月 人夫四カ村氏子中」と刻銘された石碑が埋め込まれている。

 天保7年(1836)は出雲地方及び石見津和野藩内が大洪水に見舞われ、気候不順で大凶作となり、出雲部では減穀138,600余石となり、米一升が250文という高騰した年である。

 おそらく二度とこうした災害が起こらぬよう祈願し、遷宮したものと思われる。
【写真左】本殿
【写真左】切崖
 丘城的城砦であったこともあり、比高がさほどない割には東西の崖は険峻な造りとなっている。
【写真左】夕景城遠望
 小馬木八幡宮からも夕景城が望める。
 右の奥に見える山は、広島県との境界に聳える吾妻山。






安養寺

 小林城の稿でも少し触れているが、小林城から少し北に向かったところに安養寺がある。
 日蓮宗開祖日蓮の法孫日尊上人が諸国行脚のとき、当地に創建したといわれる寺院で、当院3世の住職・日源は、のちに本山要法寺6世貫主となり、日源上人と名乗った。
【写真左】安養寺・その1












 氏綱は、日源の教えに信服入信し、それまであった郡内の4カ寺の仏像を焼き捨て、領民すべてを日蓮宗に改宗させた(サイト「奥出雲町の歴史」(出典:地元郷土史家高橋一郎氏著書参照)。

 次稿で予定している、夕景城の東麓にある古刹で、昨今銀杏で有名になった「金言寺」もその一つである。
【写真左】安養寺・その2
 本堂

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