2011年6月16日木曜日

那須与一の墓(岡山県井原市野上町)

那須与一の墓(なすのよいちのはか)

●所在地 岡山県井原市野上町
●探訪日 2009年6月2日

◆解説
 前稿「小菅城」で少し紹介したが、今稿は井原市野上町にある那須与一の墓を紹介したい。
前稿でも述べたように、与一自身の墓として一般的に知られるのは、京都府京都市東山区にある即成院(そくじょういん)のものである。
【写真左】那須与一の墓・その1
 「小菅城」の北東約900m地点にあって、雄神川の支流・細見川沿いに走る林道のような狭い道の奥に設置されている。

 車では途中まで行けるが、そのあとは徒歩で数百メートル歩くことになる。



 那須与一の出身地は、栃木県那須郡那珂川町とされている。与一の兄弟9人が平氏方につき、十一男であった与一と、十男の十郎為隆のみが源氏方についたといわれ、源平合戦が終わった後、平氏に与していた兄弟の赦免を願い出、恩賞として受け取った領地をその兄弟らに分け与えたという。

 与一が亡くなった場所は、山城国伏見とされ、墓地もそのため上記の通り、京都東山区にあるということだろう。
【写真左】その2
 左側は五輪塔、右に石碑のようなものが建っている。







 今稿取り上げた「那須与一の墓」は、従って本人の遺骨が埋葬されたものでなく、後に地元民によって、那須氏を崇敬する意味からいわば「供養塔」の形として建立されたものだろう。

 もっとも、前稿「小菅城」のある西江原からこの野上町の「那須与一の墓」の位置までの距離は、直線距離で1キロもないので、小菅城主だった那須氏の誰かの墓とも考えられる。
【写真左】その3
【写真左】説明板と絵馬
 扇の的を射止めたことから、願い事がかなうとし、受験の合格祈願にもときどき訪れる人があるらしく、絵馬もかけられている。




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