蟹ヶ迫城(かにがさこじょう)
●所在地 島根県江津市渡津町長田
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 山根修理進
●高さ 64m(比高60m)
●遺構 郭等
●登城日 2011年6月8日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第14巻』「サイト「城郭放浪記」等)
随分前の昨年(2011年)登城していた山城で、写真をとっておきながらすっかり忘れていた山城である。それほど印象に残っていないというと、当城には失礼にあたるが、特徴のある遺構もあまりない小規模な山城である。
【写真左】本丸跡
地蔵二体が祀られている。
所在地は、以前取り上げた江の川河口に近い亀山城(島根県江津市江津町本町)の対岸にある室上山に築城された城砦である。現在、その脇を国道9号線バイパスが走っている。
「日本城郭体系第14巻』では、当山の標高が246mと記されているが、現地に立つととてもそこまで高くなく、江の川の川面からせいぜい5,60m余りの小丘である。
築城期、築城者などは不明だが、城主として山根修理進の名が残る。山根氏がいつの時代のものか、このあたりも判然としない。
【写真左】郭跡か
登城道は国道9号線側の北から登る道と、江の川側から向かう道の二つがあるようだ。
当城は既に「城郭放浪記」氏が登城しているが、同氏の写真で見ると、西側(江の川側)には、「蟹ヶ迫城登山口」という案内板が設置してあるようだ。
この日は、前者の方から向かった。
途中で、このような墓地がある。無縁仏となった墓石も点在している。平坦な場所となっているが、この辺りも郭があったかもしれない。
【写真左】(追加写真)
江の川側の西麓にある登城口
12月18日撮影
所在地が、前述した亀山城と江の川を挟んでほぼ正面にあたることから、亀山城と関係した山城、もしくは海城であったかもしれない。
ちなみに、当城には竜にまつわる伝承があるというのだが、詳細は分からない。西麓に江の川という大河が流れていることから、霧が発生しやすいため、霧に囲まれた当城がまるで龍にぐるりと囲まれたように見えたから、そんな伝説が生まれたのかもしれない。
【写真左】登城途中、西方に江の川と国道9号線を見る。
中央の川が江の川で、右の日本海へ注ぐ。
【写真左】江の川河口
北方を見ると、すぐに日本海が見える。中央に見える工場は、日本製紙ケミカルの江津工場。
【写真左】主郭側の段に向かう階段
この位置に来るまで帯郭跡らしき遺構が散見されるが、登城道を修復したような跡が多く、明瞭でない。
【写真左】主郭・その1
城砦規模としては小規模ながら、主郭の規模は予想以上に広く、20m四方はあるだろうか。
主郭・その2
中央部には地蔵二体が祀られている。
主郭・その3
南の方へ進んでみる。奥行は結構ある。30m近くあるかもしれない。
【写真左】亀山城を見る。
江の川を挟んで対岸の亀山城を見る。
当城とほぼ正対する位置にあることが分かる。
このことから、前述したように亀山城の支城あるいは、向城として築かれた可能性もある。
●所在地 島根県江津市渡津町長田
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 山根修理進
●高さ 64m(比高60m)
●遺構 郭等
●登城日 2011年6月8日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第14巻』「サイト「城郭放浪記」等)
随分前の昨年(2011年)登城していた山城で、写真をとっておきながらすっかり忘れていた山城である。それほど印象に残っていないというと、当城には失礼にあたるが、特徴のある遺構もあまりない小規模な山城である。
【写真左】本丸跡
地蔵二体が祀られている。
所在地は、以前取り上げた江の川河口に近い亀山城(島根県江津市江津町本町)の対岸にある室上山に築城された城砦である。現在、その脇を国道9号線バイパスが走っている。
「日本城郭体系第14巻』では、当山の標高が246mと記されているが、現地に立つととてもそこまで高くなく、江の川の川面からせいぜい5,60m余りの小丘である。
築城期、築城者などは不明だが、城主として山根修理進の名が残る。山根氏がいつの時代のものか、このあたりも判然としない。
【写真左】郭跡か
登城道は国道9号線側の北から登る道と、江の川側から向かう道の二つがあるようだ。
当城は既に「城郭放浪記」氏が登城しているが、同氏の写真で見ると、西側(江の川側)には、「蟹ヶ迫城登山口」という案内板が設置してあるようだ。
この日は、前者の方から向かった。
途中で、このような墓地がある。無縁仏となった墓石も点在している。平坦な場所となっているが、この辺りも郭があったかもしれない。
江の川側の西麓にある登城口
12月18日撮影
所在地が、前述した亀山城と江の川を挟んでほぼ正面にあたることから、亀山城と関係した山城、もしくは海城であったかもしれない。
ちなみに、当城には竜にまつわる伝承があるというのだが、詳細は分からない。西麓に江の川という大河が流れていることから、霧が発生しやすいため、霧に囲まれた当城がまるで龍にぐるりと囲まれたように見えたから、そんな伝説が生まれたのかもしれない。
【写真左】登城途中、西方に江の川と国道9号線を見る。
中央の川が江の川で、右の日本海へ注ぐ。
【写真左】江の川河口
北方を見ると、すぐに日本海が見える。中央に見える工場は、日本製紙ケミカルの江津工場。
【写真左】主郭側の段に向かう階段
この位置に来るまで帯郭跡らしき遺構が散見されるが、登城道を修復したような跡が多く、明瞭でない。
【写真左】主郭・その1
城砦規模としては小規模ながら、主郭の規模は予想以上に広く、20m四方はあるだろうか。
主郭・その2
中央部には地蔵二体が祀られている。
主郭・その3
南の方へ進んでみる。奥行は結構ある。30m近くあるかもしれない。
【写真左】亀山城を見る。
江の川を挟んで対岸の亀山城を見る。
当城とほぼ正対する位置にあることが分かる。
このことから、前述したように亀山城の支城あるいは、向城として築かれた可能性もある。
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