霜降城(しもふりじょう)・その2
●所在地 山口県宇部市厚東末信
●登城日 2012年1月16日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
今稿は前稿に続いて、本城を取り上げる。
「前城」を過ぎ「本城」に向かって北に進むコースとなるが、ここから一気に急勾配の谷となって降る。
【写真左】前城を過ぎて本城に向かう。
北側の面は南側の登り道とは極端に違って急勾配の降りとなる。
本城にあった説明板より
“霜降城(本城)
指定年月日 昭和43年7月4日
本城は、南に前城。北に後城(南峰、北峰の二峰)、西に中ノ城を配した中心の城であり、霜降山の最高地点(250.2m)にあります。頂上部の面積は約1300㎡で、これを取り巻くように西側に空堀が掘られ、そこから出た土砂は、空堀の前面に盛られ、土塁を形成しています。空堀は、上部幅15m、深さ4m、長さ42mにも及び大型なものです。
【写真左】分岐点・その1
本城に向かう途中にある分岐点で、奥に向かうと本城へ、右に降りていくと「持世寺」方面に繋がる。
土塁は、空堀に沿って高くそびえ立ち、さらにその下部には石垣を築いた崖状の土塁が存在します。これらは霜降城の中でも最大規模の遺構です。
この他に、北側に突出した形の平坦地があり、まだ遺構は見つかっていませんが、西側(末信方面)からの攻撃に備えたものと考えられます。
200m級の四連峰に構築された城の大きさは、山口県内でも最大級であり、南北朝時代の山城の遺構を明らかに残している数少ないものとして学術的にも貴重な史跡です。(以下は前稿と同文のため省略)”
【写真左】分岐点・その2
さらに進むと、本城の南麓部に至るが、この箇所で、右へ向かうと「後城」へ、また左に向かうと末信の地区へ降りていく。
この日は、時間がなかったため、後城は省略し、そのまままっすぐ「本城」へ向かった。
【写真左】本城・その1
本城が近づくにつれて傾斜がきつくなっていく。登城コースは東側から回り込む道がついており、この写真は2,3の腰郭を通り過ぎて、空堀東端部側に設置されたもの。
【写真左】本城・その2 空堀
幅約15m、深さ4m、長さ42mという大型のもので、左側が土塁となっており、土塁を超えた下段面との比高は、当然ながら高く7,8mはあるだろう。
右側が本丸となる。
【写真左】本城・その3 主郭
史料によれば、本丸の規模として主郭頂上部面積は1600㎡で、三角点を中心に2段に分かれている。
【写真左】本丸・その4 標柱
主郭の隅に設置され、昭和42年7月4日指定とある。
【写真左】本丸・その5 巨石その1
本城にはこうした巨石が部分的に点在している。
【写真左】本丸・その6 巨石その2
こうした巨石は主に主郭の周囲にあることから、当時これらの石をつかって主郭が構成されていたのだろう。
またこの写真は先ほどの空堀上端部にあったもので、より空堀としての要害性を高めていたものと思われる。
【写真左】本丸・その7
主郭からさらに北に向かって2,3段の腰郭が伸びている。
先に行くほど尾根幅は細くなり、特に東面は天然の要害をもっている。
【写真左】再び空堀
主郭から北の郭へ降りて、西に回り、再び南側の空堀へ出る。
なお、西側は帯郭状の形状だったものと思われるが、大分崩落し原型をとどめていない。
●所在地 山口県宇部市厚東末信
●登城日 2012年1月16日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
今稿は前稿に続いて、本城を取り上げる。
「前城」を過ぎ「本城」に向かって北に進むコースとなるが、ここから一気に急勾配の谷となって降る。
【写真左】前城を過ぎて本城に向かう。
北側の面は南側の登り道とは極端に違って急勾配の降りとなる。
本城にあった説明板より
“霜降城(本城)
指定年月日 昭和43年7月4日
本城は、南に前城。北に後城(南峰、北峰の二峰)、西に中ノ城を配した中心の城であり、霜降山の最高地点(250.2m)にあります。頂上部の面積は約1300㎡で、これを取り巻くように西側に空堀が掘られ、そこから出た土砂は、空堀の前面に盛られ、土塁を形成しています。空堀は、上部幅15m、深さ4m、長さ42mにも及び大型なものです。
【写真左】分岐点・その1
本城に向かう途中にある分岐点で、奥に向かうと本城へ、右に降りていくと「持世寺」方面に繋がる。
土塁は、空堀に沿って高くそびえ立ち、さらにその下部には石垣を築いた崖状の土塁が存在します。これらは霜降城の中でも最大規模の遺構です。
この他に、北側に突出した形の平坦地があり、まだ遺構は見つかっていませんが、西側(末信方面)からの攻撃に備えたものと考えられます。
200m級の四連峰に構築された城の大きさは、山口県内でも最大級であり、南北朝時代の山城の遺構を明らかに残している数少ないものとして学術的にも貴重な史跡です。(以下は前稿と同文のため省略)”
【写真左】分岐点・その2
さらに進むと、本城の南麓部に至るが、この箇所で、右へ向かうと「後城」へ、また左に向かうと末信の地区へ降りていく。
この日は、時間がなかったため、後城は省略し、そのまままっすぐ「本城」へ向かった。
【写真左】本城・その1
本城が近づくにつれて傾斜がきつくなっていく。登城コースは東側から回り込む道がついており、この写真は2,3の腰郭を通り過ぎて、空堀東端部側に設置されたもの。
【写真左】本城・その2 空堀
幅約15m、深さ4m、長さ42mという大型のもので、左側が土塁となっており、土塁を超えた下段面との比高は、当然ながら高く7,8mはあるだろう。
右側が本丸となる。
【写真左】本城・その3 主郭
史料によれば、本丸の規模として主郭頂上部面積は1600㎡で、三角点を中心に2段に分かれている。
【写真左】本丸・その4 標柱
主郭の隅に設置され、昭和42年7月4日指定とある。
【写真左】本丸・その5 巨石その1
本城にはこうした巨石が部分的に点在している。
【写真左】本丸・その6 巨石その2
こうした巨石は主に主郭の周囲にあることから、当時これらの石をつかって主郭が構成されていたのだろう。
またこの写真は先ほどの空堀上端部にあったもので、より空堀としての要害性を高めていたものと思われる。
【写真左】本丸・その7
主郭からさらに北に向かって2,3段の腰郭が伸びている。
先に行くほど尾根幅は細くなり、特に東面は天然の要害をもっている。
【写真左】再び空堀
主郭から北の郭へ降りて、西に回り、再び南側の空堀へ出る。
なお、西側は帯郭状の形状だったものと思われるが、大分崩落し原型をとどめていない。
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