備後・小林山城(びんご・ごばやしやまじょう)
●所在地 広島県府中市木野山町(愛宕神社)
●別名 愛宕城
●高さ 290m/70m
●築城期 不明(南北朝期か)
●城主 木野山氏
●遺構 郭、堀
●備考 愛宕神社
●登城日 2017年5月7日
●高さ 290m/70m
●築城期 不明(南北朝期か)
●城主 木野山氏
●遺構 郭、堀
●備考 愛宕神社
●登城日 2017年5月7日
◆解説
広島県の府中市を流れるのが一級河川芦田川だが、この支流阿字川を遡っていくと、木野山町に至る。同町で並走する県道24号線の途中から枝分かれして東に伸びるのが県道402号線で、これを600m程進むと、途中で右に登る坂道があり、その先に松林寺が建立されている。この松林寺の北方に祀られているのが愛宕神社で、小林山城ともいう。
【写真左】小林山城遠望 麓の松林寺側から見たもの。
現地の説明板より
❝新府中風土記めぐり 松林寺と愛宕城跡
南北両朝にわかれての戦国争乱のとき、南軍に与した小林城(愛宕城)の城主木野山治郎左衛門芥川吉行は、北軍と戦って敗れ自刃しました。
二代目城主が亡父供養のため一寺を建立(小林寺・現在の松林寺)し、里人は悲運の城主を祭神に城址に神社を建立して城主の遺徳を追慕しました。愛宕神社です。
のち愛宕神社は、加具土神(かぐつぎのみこと)、奥津姫神などの諸神を合祀しました。
松林寺の境内から愛宕神社の森を見上げると、武運拙く敗れ去った武将の痛恨の慟哭が聞こえるようです。
府中商工会議所❞
【写真左】登城道 登城道というより参道といった方がいいかもしれないが、主郭には愛宕神社が祀られているので、歩きやすいように階段が敷設してある。
なお、駐車場は松林寺の隣に空き地があり、そこに停めることができる。
木野山治郎左衛門芥川吉行
小林山城の別名は、愛宕神社が祀られていることから愛宕城ともいう。築城期・築城者は不明だが、説明板にある南北朝時代の城主・木野山治郎左衛門芥川吉行(以下「木野山左衛門」とする。)が築城者であったと推測される。
【写真左】急な階段 しばらく階段を登って行くと、途中で緩やかになるが、その後ごらんのような急階段となる。切岸部分に当たるためだろう(下の写真参照)。
木野山周辺での南北朝時代の動きについては、手元に資料がないため詳しい事は分からない。
ただ、ここから北に13キロほど向かった上下町にある翁山城(広島県府中市上下町上下)の稿でも紹介したように、北朝方であった翁山城主長谷部氏が、南朝方の有福城々主・竹内氏と戦っていたことが知られ、このことから、南朝方であった木野山左衛門も竹内氏らと行動を共にしていたと考えられる。
【写真左】切岸 ほぼ直線の階段としたため少し息が上がる。
長谷部氏はその数々の戦功によって、暦応3年(1340)上下の地頭に任じられているので、木野山左衛門はおそらくこれ以前に長谷部氏らによって攻略されたものと思われる。
因みに、木野山左衛門は芥川吉行という名もつけている。このことから、もともと左衛門は当地の地侍でなく、芥川の姓から判断するに、摂津国から下向してきた武将ではないかと推測される。
【写真左】鳥居が見えてきた。
急な階段を過ぎるとここで緩やかな段がある。この付近が腰郭だったのだろう。
手前には鳥居がある。
額束には「愛宕宮」と記されている。
【写真左】本丸・その1 愛宕神社境内だが、奥行は40m×(5~10m)と予想以上に広い。
【写真左】本丸・その2南側の切岸。雑木が生えていて分かりずらいが、なかなか険峻である。
【写真左】本丸・その3 奥に向かった場所で、本殿が祀られている。この付近がもっとも広い。
【写真左】愛宕神社本殿よく見ると、名前が愛宕神社ではなく、「合併神社」と書かれている。おそらく愛宕神社を創建したあと、加具土神、奥津姫神などの諸神を合祀したため、名称も合併としたのだろう。
本丸の北西側には一段下がった腰郭がある。
【写真左】本殿裏側 思った以上に広いことから、小林山城時代この主郭部分には建物も建っていたのかもしれない。
【写真左】切岸 小林山城に登る階段の脇を走る道路は切通しのような形状だが、当時はこの個所が堀切であった可能性が高い。
【写真左】松林寺 二代目城主が亡父供養のため建立した小林寺で、現在の松林寺。曹洞宗の寺院で、定期手に座禅が行われているようだ。
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