幡立山城(はただてやまじょう)
●所在地 広島県府中市本山町
●別名 旗立山城
●指定 府中市指定史跡
●高さ 標高485m(比高280m)
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 不明
●遺構 郭等
●登城日 2013年10月26日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
幡立山城は、広島県府中市に築かれた城砦である。当城の近くには以前取り上げた亀寿山城(広島県福山市新市町大字新市)をはじめとし、桜山城(広島県福山市新市町大字宮内)、相方城(広島県福山市新市町大字相方)などがある。
【写真左】幡立山城遠望
南東麓の工業団地側から見たもの。
説明板より
幡立山(はただてやま)城跡(旗立山城跡)
“ 山頂部に幅3~5m、長さ約30mの1郭を置き、ここから南側に郭が展開する。1郭の南西部に巨石があり、南端のものには径約20cmの穴が開いている。ここに旗を立てたという旗立岩の伝承が残っており、これが城跡の名称にもなっている。1郭より1~3m低く帯郭が巡っており、中央やや西よりに南西下の郭に向けて虎口が開く。”
【写真左】七ツ池自然公園の地図
七ツ池を中心に、東西の山並みを含めたこの地域は自然公園として整備されている。
幡立山城は、この図の最下段に図示されている。
幡立山城に登城したのは昨年の10月である。このため、大分記憶が薄らいでおり、当城に向かう明確な動機があったとは思うが、それがなんであったか、今ではトンと思い出せない。
当城の由来などについては、残念ながら詳細な記録が残っていない。ただ、この城砦の南方には別名「備後国府城」といわれ、室町期守護職であった山名氏の居城とされる八ツ尾城(広島県府中市出口町)が控え、さらに北方には、古代山城として伝えられている「常城(つねき)」が控えている。
所在地である府中という地名からも推察されるように、この地は奈良時代から平安時代にかけて全国におかれた国府があったところとされているが、残念ながらそれを裏付ける役所であった国庁の建物としての遺構はまだ見つかっていない。しかし、これまで当地域内で発掘された多くの出土品及び、二か所の遺跡(ツジ遺跡・元町東遺跡)の調査から比定地がほぼ確定しているようだ。
【写真左】登城開始
幡立山城の登城口は上掲した案内図にある「現在地」まで車でたどり着けるため、主郭まで近い。
この写真の位置から200mと標記されていたので、久しぶりにすでに卒寿を迎えている愛犬(チャチャ)も同伴させる。
七ツ池
幡立山城の東麓から北にかけて長く伸びる谷がある。ここには7か所の池が南北に点在し七ツ池とよばれ、大蛇にまつわる伝説が残るという。
一番下段にある平岩池から最上段にある口の池まではおよそ1キロあるが、最下段の平岩池の堰堤下と落差はあるものの、思ったほどの比高差はない。むしろ、西麓に聳える幡立山城の東に伸びる尾根がこの谷間を塞ぐような地勢を形づくり、このため七ツ池はまるで湿地帯の中の湖沼にも見える。
また、七ツ池の東側に聳える亀ヶ岳周辺は、古代山城「常城(つねき)」があったところともいわれているが、その頃これらの池は水の手として利用されたのかもしれない。
【写真左】大岩
少し歩いていくと、ご覧の大岩が現れる。
写真では分かりづらいが、中央に直径15cm程度の円形の窪みが見える。
人の手が加わったものだろう。
【写真左】竪堀か
深い窪みではないが、途中に堀切もしくは竪堀と思わせる箇所がある。
【写真左】主郭・その1
主郭の手前は切崖状の遺構が残り、そこを過ぎると、ご覧の岩が出迎えてくるれる。
これが幡立岩である。
【写真左】主郭・その2
中央の岩が幡立岩
手前の岩付近には、1996年広島で行われた国民体育大会の際、この場所で炬火を採火したとされる石碑が建立されている。
【写真左】幡立岩
この岩の上に登り幡立の穴を見ようとしたが、以外と高さがある。
登ろうとしたら、即座に連れ合いから怪我するからやめてほしいと懇願され、結局しぶしぶ従った。
そんな悶着をしていたら、下の方から地元の中年の男性が登ってこられた。なんでも山菜をとりにきたという。
出雲からこの山城を探訪してきたと話をしたら、この山もいいが、山城だったら、「八ツ尾城」の方が見どころが多いだろうと勧めていただいた。
【写真左】八ツ尾城眺望
地元の方から教えていただいた八ツ尾城が下の方に見える。
標高346mなので、140m前後程こちらの幡立山城が高い。
【写真左】茶臼城遠望
下に見える街並みは府中市街で、手前を流れる芦田川の南岸にある独立丘陵(H:163m)の山城である。
【写真左】主郭・その3
説明板にもあるように、主郭は南北に長さ約30mを持つが、幅は最大で5m前後と狭い。
写真は北側から見たもの。
このあと、虎口らしき箇所から北西部に降り、七ツ池方面に向かう。
【写真左】主郭の西面
この辺りは切崖状の箇所も見られるが、全体になだらかになっている。
【写真左】下新池
七ツ池の一つで、最下段の平岩池の上にあるもの。
池の北側には、「いこいの谷」及び「せせらぎ水路」といった公園化された箇所があり、それを超えると上新池などがあるが、この日はこの池のみ探訪した。
【写真左】下新池北側から幡立山城を遠望する。
北側にあるせせらぎ水路附近から見たもので、中央の山が幡立山。
●所在地 広島県府中市本山町
●別名 旗立山城
●指定 府中市指定史跡
●高さ 標高485m(比高280m)
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 不明
●遺構 郭等
●登城日 2013年10月26日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
幡立山城は、広島県府中市に築かれた城砦である。当城の近くには以前取り上げた亀寿山城(広島県福山市新市町大字新市)をはじめとし、桜山城(広島県福山市新市町大字宮内)、相方城(広島県福山市新市町大字相方)などがある。
【写真左】幡立山城遠望
南東麓の工業団地側から見たもの。
説明板より
幡立山(はただてやま)城跡(旗立山城跡)
“ 山頂部に幅3~5m、長さ約30mの1郭を置き、ここから南側に郭が展開する。1郭の南西部に巨石があり、南端のものには径約20cmの穴が開いている。ここに旗を立てたという旗立岩の伝承が残っており、これが城跡の名称にもなっている。1郭より1~3m低く帯郭が巡っており、中央やや西よりに南西下の郭に向けて虎口が開く。”
【写真左】七ツ池自然公園の地図
七ツ池を中心に、東西の山並みを含めたこの地域は自然公園として整備されている。
幡立山城は、この図の最下段に図示されている。
幡立山城に登城したのは昨年の10月である。このため、大分記憶が薄らいでおり、当城に向かう明確な動機があったとは思うが、それがなんであったか、今ではトンと思い出せない。
当城の由来などについては、残念ながら詳細な記録が残っていない。ただ、この城砦の南方には別名「備後国府城」といわれ、室町期守護職であった山名氏の居城とされる八ツ尾城(広島県府中市出口町)が控え、さらに北方には、古代山城として伝えられている「常城(つねき)」が控えている。
所在地である府中という地名からも推察されるように、この地は奈良時代から平安時代にかけて全国におかれた国府があったところとされているが、残念ながらそれを裏付ける役所であった国庁の建物としての遺構はまだ見つかっていない。しかし、これまで当地域内で発掘された多くの出土品及び、二か所の遺跡(ツジ遺跡・元町東遺跡)の調査から比定地がほぼ確定しているようだ。
【写真左】登城開始
幡立山城の登城口は上掲した案内図にある「現在地」まで車でたどり着けるため、主郭まで近い。
この写真の位置から200mと標記されていたので、久しぶりにすでに卒寿を迎えている愛犬(チャチャ)も同伴させる。
七ツ池
幡立山城の東麓から北にかけて長く伸びる谷がある。ここには7か所の池が南北に点在し七ツ池とよばれ、大蛇にまつわる伝説が残るという。
一番下段にある平岩池から最上段にある口の池まではおよそ1キロあるが、最下段の平岩池の堰堤下と落差はあるものの、思ったほどの比高差はない。むしろ、西麓に聳える幡立山城の東に伸びる尾根がこの谷間を塞ぐような地勢を形づくり、このため七ツ池はまるで湿地帯の中の湖沼にも見える。
また、七ツ池の東側に聳える亀ヶ岳周辺は、古代山城「常城(つねき)」があったところともいわれているが、その頃これらの池は水の手として利用されたのかもしれない。
【写真左】大岩
少し歩いていくと、ご覧の大岩が現れる。
写真では分かりづらいが、中央に直径15cm程度の円形の窪みが見える。
人の手が加わったものだろう。
【写真左】竪堀か
深い窪みではないが、途中に堀切もしくは竪堀と思わせる箇所がある。
【写真左】主郭・その1
主郭の手前は切崖状の遺構が残り、そこを過ぎると、ご覧の岩が出迎えてくるれる。
これが幡立岩である。
【写真左】主郭・その2
中央の岩が幡立岩
手前の岩付近には、1996年広島で行われた国民体育大会の際、この場所で炬火を採火したとされる石碑が建立されている。
【写真左】幡立岩
この岩の上に登り幡立の穴を見ようとしたが、以外と高さがある。
登ろうとしたら、即座に連れ合いから怪我するからやめてほしいと懇願され、結局しぶしぶ従った。
そんな悶着をしていたら、下の方から地元の中年の男性が登ってこられた。なんでも山菜をとりにきたという。
出雲からこの山城を探訪してきたと話をしたら、この山もいいが、山城だったら、「八ツ尾城」の方が見どころが多いだろうと勧めていただいた。
【写真左】八ツ尾城眺望
地元の方から教えていただいた八ツ尾城が下の方に見える。
標高346mなので、140m前後程こちらの幡立山城が高い。
【写真左】茶臼城遠望
下に見える街並みは府中市街で、手前を流れる芦田川の南岸にある独立丘陵(H:163m)の山城である。
【写真左】主郭・その3
説明板にもあるように、主郭は南北に長さ約30mを持つが、幅は最大で5m前後と狭い。
写真は北側から見たもの。
このあと、虎口らしき箇所から北西部に降り、七ツ池方面に向かう。
【写真左】主郭の西面
この辺りは切崖状の箇所も見られるが、全体になだらかになっている。
【写真左】下新池
七ツ池の一つで、最下段の平岩池の上にあるもの。
池の北側には、「いこいの谷」及び「せせらぎ水路」といった公園化された箇所があり、それを超えると上新池などがあるが、この日はこの池のみ探訪した。
【写真左】下新池北側から幡立山城を遠望する。
北側にあるせせらぎ水路附近から見たもので、中央の山が幡立山。
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