2010年7月13日火曜日

福田城(島根県江津市有福温泉町本明福田)

福田城(ふくだじょう)

●所在地 島根県江津市有福温泉町本明福田
●登城日 2010年1月26日
●築城期 不明
●築城者 不明
●城主 福屋右衛門太夫隆平
●高さ 137m
●遺構 郭、土塁、堀切

◆解説(参考文献「島根県遺跡データベース」「日本城郭大系第13巻」等)

 福田城は、昨年(2009年)2月5日投稿の「本明城」の北東麓に築かれた山城である。築城期は不明なものの、本明城の支城として使われたという。
 記録にはいつの時代かわからないが、城主として、福屋右衛門太夫隆平の名が残る。本拠城であった本明城は、永禄5年(1562)2月6日、福屋隆兼が毛利元就に攻められ、出雲へ逃れ最後は阿波(徳島)の蜂須賀氏を頼っているので、福田城も同時期に陥落したものと思われる。

 福田城は本明城の稜線延長線上に伸びた北東麓に築かれ、ちょうどその部分で本明川が大きく蛇行していることから、同川は水堀の役目をしていたものと思われる。
【写真左】登城口付近
 登城口といっても、写真に見える坂道を20m程度行けば、城跡区域になる。写真に見える右側の道は田所国府線(50号線:県道か)で、この場所から幅員が狭くなり、1キロほど過ぎると浜田市に入るが、あまりに狭い道であるため、対向車とすれ違う時は注意が必要だ。

 中世はこの道はなく、おそらくこの福田城の東に流れる本明川沿いに造られていたと思われ、特にこの福田地区では川向に旧道らしき道が残っている。
 なお、この写真の右の道路からさらに右には本明城方面に向かう坂道があり、当時はこの付近も福田城の城域だった可能性が高い。
【写真左】福田城遠望
 北側から見たもので、稜線状に郭が点在しているが、切崖や郭段が多いのはこの写真の反対側、すなわち南面に多く造られている。

【写真左】「福田八幡宮のイチイガシ及び自然林」と書かれた看板
 写真にはないが、「イチイガシ」と呼ばれる天然記念物がある。
 なお、この看板の後段に「…城主福屋氏が居住していた…」とも書かれている。確かに山城としては標高・比高とも大分低く、また後段にある社殿敷地の形状を考えると、館跡があった可能性が高い。
写真左】城跡に立つ「福田八幡宮」社殿
 現地に由来や縁起がないため、分からないが、おそらく福屋氏を祀った社と思われる。
 なお、このあたりの幅が最大で約30mあり、写真奥に行くに従って細くなっている。この位置で右側の斜面は連続して切崖状態である。
【写真左】切崖と腰郭
 写真では分かりにくいが、切崖の角度はほぼ垂直で、険峻な造りである。この場所は虎口の形状に酷似していたので、もっとも重要な個所だったと思われる。
【写真左】主郭と思われる個所
 八幡宮から尾根伝いに進むと、途中で数カ所の郭段を確認できる。その後、写真に見える一旦高くなった郭がある。おそらくこれが主郭と思われる。
【写真左】主郭付近
 この規模は10m四方のもので、隅に写真に見える祠が鎮座する。
 なお、この場所からさらに下がっていく道があるが、このあたりからの傾斜はさらにきつくなっている。
 現地を確認していないが、おそらく一番下には鳥居があり、江戸期にはこの位置から登って宮に行くコースとなっていたのだろう。

【写真左】主郭付近から南西方向に「本明城」を遠望する
 本明城の登城路としては以前の投稿でも紹介したように、北側から登るコースがよく利用されている。中世に福屋氏が利用した道は、この福田城(館)からのコースだったと思われるが、距離的にはこのコースが大分長いように思える。

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