2014年2月1日土曜日

泊崎城(広島県尾道市瀬戸田町宮原)

泊崎城(とまりさきじょう)

●所在地 広島県尾道市瀬戸田町宮原
●築城期 不明
●築城者 不明(村上氏か)
●城主 不明(村上氏か)
●高さ 標高11m
●遺構 ほとんど消滅
●形態 水軍城
●登城日 2013年5月22日

◆解説(『日本城郭体系第13巻』等)
 泊城は、前稿甘崎城(愛媛県今治市上浦町甘崎)のある大三島の東隣の島・生口島にある水軍城である。

 ただ、初めに断わっておきたいのは、当城に関する資料がほとんどなく、城名も当城とは別に近くに「宮崎城」というのがあって、場合によっては、「宮崎城」である可能性もある。
【写真左】泊城
 手前には数軒の家が並んでおり、たまたま附近におられた地元の奥さんに登城道を尋ねたところ、お隣さんの家の脇を通っていけるという。
 その奥さんに、御丁寧にそのお宅の方まで案内していただき、ご了承を得た。

 この写真が頂部で主郭ということになる。手前の岩の角を登っていく。
 

標高11mの山

 冒頭にもあるように、その標高はわずか11mである。地図では「城山 11m」と記載されているので、一応地理学的には「山」の扱いであるが、高さがわずか11mなので、山というより小丘と呼んだ方がふさわしいかもしれない。

 さて、先述した「宮崎城」については、村上氏の家臣・救井景国が城主であったとされているので、当城もおそらくこの救井氏に関係する武将がかかわっていたものと思われる。

 せっかくだったので、件の奥さん方に当城の由来などを尋ねてみたが、「城山(しろやま)」ということ以外は分からないという。もっとも、昔はこの場所から南西部にかけてもこのような岩と砂の混じった丘が続いていたということで、当時の城山の規模はもう少し浜に沿って伸びていたと考えられる。
【写真左】横から見たもの。
 おそらく切削された箇所だろう。
【写真左】主郭先端部から見る。
 防波堤が伸び、近くに宮原の漁港がある。
【写真左】宮原の漁港
 左側に霞んで見える島は、伯方島。
【写真左】主郭から宮原の町並みを見る。
 この辺りは全体に低地となっているので、中世戦国期にはまだ海面、もしくは干潮時のみ浜となっていたのかもしれない。
【写真左】浜ノ宮神社
 近くには浜ノ宮神社が祀られている。

 宮原という地名はこの社から命名されたと思われる。
【写真左】鳥居
 浜ノ宮神社を前にした浜に鳥居が建っている。

 この位置にあるということは、当時鳥居の下まで舟で来て、参拝していたということかもしれない。
 
 奥に見えるのは岩城島。

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