桜山城(さくらやまじょう)
●所在地 広島県福山市新市町大字宮内
●別名 一宮城
●築城期 応長元年(1311)
●築城者 桜山茲俊
●形態 丘城
●高さ 90m(比高40m)
●遺構 郭・空堀等
●備考 桜山神社・吉備津神社
●登城日 2011年9月9日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
桜山城は旧芦品郡新市町といわれたところにあって、当城の周りには南方の芦田川を挟んで「相方(さかたじょう)」(2010年6月8日投稿)や、次稿に予定している「亀寿山城」などがある。また、当城の北方には下段に示すように、備後一宮吉備津神社及び築城者であった桜山茲俊を祀った桜山神社など、中世史跡が点在している。
【写真左】桜山城遠望
北側の吉備津一宮神社側から見たもの。
そして西隣は府中市になるが、この付近を訪れるたびに芦田川流域には往古から中世にかけての雰囲気が色濃く残り、独特の雰囲気を醸し出している。
【写真左】中興寺
桜山城の南麓にある禅宗寺院で、桜山茲俊の菩提寺とされ、位牌と木像が安置されているという。
桜山茲俊
桜山城の築城者とされる桜山茲俊については、大富山城(広島県庄原市西城町入江字的場)でもとりあげたように、室町初期には惣領久代宮氏を筆頭に、西城・小奴可など多くの庶流を輩出した宮氏の一族とされている。
桜山茲俊、別名桜山四郎入道は、元弘元年(1331)9月、河内国赤坂城において楠木正成が倒幕の狼煙を挙げたとき、当地・備後一宮にて呼応し挙兵した。
しかし、翌2年笠置山における宮方敗戦の報を聞いた桜山軍は一挙に弱体化、当地で妻子を殺害、一族郎党と共に自刃したといわれている。
【写真左】宝篋印塔の一部か
当院から桜山城に向かう途中にご覧のような無縁墓を集めた箇所がある。
その中にご覧のように「隅飾り」「伏鉢」だけを残した宝篋印塔の欠損部位が残っていた。
また、このほかに反対側の隅には、五輪塔の「笠」「受け花」のみが残るものも散見された。
以前にも紹介したように、茲俊らが自刃した際、唯一遺児として残ったのが、後に石見国邑智郡矢上で、矢上氏を称した邑智宗連(おうちむねつら)といわれている。
邑智宗連も父と同じく、石見にあって宮方として活躍したが、興国元年・暦応3年(1340)の「雲月作戦」(小石見城(島根県浜田市原井町)その1参照))において、武家方に降参した。
【写真左】堀切・登城道
中興寺の東側から登城道が続いているが、この道をそのまままっすぐに進むと、吉備津一宮神社・桜山神社に繋がる。
非常に硬い岩盤を掘削したような跡が両側の壁に見える。堀切としての役割があったと思われる。
【写真左】桜山城・主郭
登城した時期が9月の初旬であるから覚悟はしていたものの、ご覧の通りの雑草の繁茂である。
奥に2m程度高くなったところがあり、この位置が主郭と思われる。
【写真左】主郭から下の郭を見る。
放射状の連郭式丘城で、規模そのものは大きなものではないが、主郭を中心に東・西・北の三方の尾根伝いに郭を配置している。
なお、今回は踏査できなかったが、西方の郭の先端部にはかなり大きな堀切が配置されている。
【写真左】桜山神社・その1
桜山城の北方に鎮座する社で、この西側には吉備津一宮が隣接する。
「桜山茲俊挙兵伝説地」といわれたところである。
【写真左】桜山神社・その2
奥に向かうと本殿が控える。
【写真左】吉備津一宮神社・その1
桜山神社の入口付近から西に向かうと、吉備津一宮神社の境内に入る。
現地の縁起より
“備後国一宮 吉備津神社
御祭神 主祭神 大吉備津彦命
相殿神 大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)細比売命、稚武吉備津彦命
例祭 11月23日及びそれに近い日曜日を含む3~5日間
創建 大同元年(806)
「一宮(いっきゅう)さん」の名で親しまれ、備後国一宮(古くから備後の国を代表するもっとも崇敬された神社)として、現在も多くの方々がお参りされます。
旧国幣小社、現在、別表神社
御本殿(国指定重要文化財)
現在のご本殿は慶安元年(1648年)、当時の福山城主であった水野勝成公により御造営されました。
入母屋造平入・檜皮葺で、桁行(横)7間(18.5m)、梁間(縦)4間(9.7m)あり、全国でもまれにみる大規模な社殿です。
また、向拝3間で正面には千鳥破風・軒唐破風を持った江戸時代初期の建築でありながら、室町時代の風格と桃山彫刻を兼ね備えています。”
【写真左】吉備津一宮神社・その2
吉備津神社裏山遺跡
本殿の背後、すなわち吉備津神社裏山には鎌倉時代、多宝塔があった(「一遍上人絵伝」)とされ、たまたま1985年6月26日、当地を襲った大雨で土砂が崩れ、そこから多量の土師質土器、瓦などが出てきた。
その後本格的な発掘調査をした結果、中国宋の時代の陶磁器や、鉄釘、漆喰壁土などが出てきたという。
これらはそれら多宝塔などがあったときの遺物ではないかといわれている。
●所在地 広島県福山市新市町大字宮内
●別名 一宮城
●築城期 応長元年(1311)
●築城者 桜山茲俊
●形態 丘城
●高さ 90m(比高40m)
●遺構 郭・空堀等
●備考 桜山神社・吉備津神社
●登城日 2011年9月9日
◆解説(参考文献『日本城郭体系第13巻』等)
桜山城は旧芦品郡新市町といわれたところにあって、当城の周りには南方の芦田川を挟んで「相方(さかたじょう)」(2010年6月8日投稿)や、次稿に予定している「亀寿山城」などがある。また、当城の北方には下段に示すように、備後一宮吉備津神社及び築城者であった桜山茲俊を祀った桜山神社など、中世史跡が点在している。
【写真左】桜山城遠望
北側の吉備津一宮神社側から見たもの。
そして西隣は府中市になるが、この付近を訪れるたびに芦田川流域には往古から中世にかけての雰囲気が色濃く残り、独特の雰囲気を醸し出している。
【写真左】中興寺
桜山城の南麓にある禅宗寺院で、桜山茲俊の菩提寺とされ、位牌と木像が安置されているという。
桜山茲俊
桜山城の築城者とされる桜山茲俊については、大富山城(広島県庄原市西城町入江字的場)でもとりあげたように、室町初期には惣領久代宮氏を筆頭に、西城・小奴可など多くの庶流を輩出した宮氏の一族とされている。
桜山茲俊、別名桜山四郎入道は、元弘元年(1331)9月、河内国赤坂城において楠木正成が倒幕の狼煙を挙げたとき、当地・備後一宮にて呼応し挙兵した。
しかし、翌2年笠置山における宮方敗戦の報を聞いた桜山軍は一挙に弱体化、当地で妻子を殺害、一族郎党と共に自刃したといわれている。
【写真左】宝篋印塔の一部か
当院から桜山城に向かう途中にご覧のような無縁墓を集めた箇所がある。
その中にご覧のように「隅飾り」「伏鉢」だけを残した宝篋印塔の欠損部位が残っていた。
また、このほかに反対側の隅には、五輪塔の「笠」「受け花」のみが残るものも散見された。
以前にも紹介したように、茲俊らが自刃した際、唯一遺児として残ったのが、後に石見国邑智郡矢上で、矢上氏を称した邑智宗連(おうちむねつら)といわれている。
邑智宗連も父と同じく、石見にあって宮方として活躍したが、興国元年・暦応3年(1340)の「雲月作戦」(小石見城(島根県浜田市原井町)その1参照))において、武家方に降参した。
【写真左】堀切・登城道
中興寺の東側から登城道が続いているが、この道をそのまままっすぐに進むと、吉備津一宮神社・桜山神社に繋がる。
非常に硬い岩盤を掘削したような跡が両側の壁に見える。堀切としての役割があったと思われる。
【写真左】桜山城・主郭
登城した時期が9月の初旬であるから覚悟はしていたものの、ご覧の通りの雑草の繁茂である。
奥に2m程度高くなったところがあり、この位置が主郭と思われる。
【写真左】主郭から下の郭を見る。
放射状の連郭式丘城で、規模そのものは大きなものではないが、主郭を中心に東・西・北の三方の尾根伝いに郭を配置している。
なお、今回は踏査できなかったが、西方の郭の先端部にはかなり大きな堀切が配置されている。
【写真左】桜山神社・その1
桜山城の北方に鎮座する社で、この西側には吉備津一宮が隣接する。
「桜山茲俊挙兵伝説地」といわれたところである。
【写真左】桜山神社・その2
奥に向かうと本殿が控える。
【写真左】吉備津一宮神社・その1
桜山神社の入口付近から西に向かうと、吉備津一宮神社の境内に入る。
現地の縁起より
“備後国一宮 吉備津神社
御祭神 主祭神 大吉備津彦命
相殿神 大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)細比売命、稚武吉備津彦命
例祭 11月23日及びそれに近い日曜日を含む3~5日間
創建 大同元年(806)
「一宮(いっきゅう)さん」の名で親しまれ、備後国一宮(古くから備後の国を代表するもっとも崇敬された神社)として、現在も多くの方々がお参りされます。
旧国幣小社、現在、別表神社
御本殿(国指定重要文化財)
現在のご本殿は慶安元年(1648年)、当時の福山城主であった水野勝成公により御造営されました。
入母屋造平入・檜皮葺で、桁行(横)7間(18.5m)、梁間(縦)4間(9.7m)あり、全国でもまれにみる大規模な社殿です。
また、向拝3間で正面には千鳥破風・軒唐破風を持った江戸時代初期の建築でありながら、室町時代の風格と桃山彫刻を兼ね備えています。”
吉備津神社裏山遺跡
本殿の背後、すなわち吉備津神社裏山には鎌倉時代、多宝塔があった(「一遍上人絵伝」)とされ、たまたま1985年6月26日、当地を襲った大雨で土砂が崩れ、そこから多量の土師質土器、瓦などが出てきた。
その後本格的な発掘調査をした結果、中国宋の時代の陶磁器や、鉄釘、漆喰壁土などが出てきたという。
これらはそれら多宝塔などがあったときの遺物ではないかといわれている。
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