2011年8月3日水曜日

南天山城・その2

南天山城・その2

◆解説
前稿で南天山城の城主であった和智氏ついて、現地の説明板で概略が示されているが、今稿では、さらに同氏と拘わった山城や、寺院について触れておきたい。
【写真左】善逝寺(ぜんぜいじ)
 初代資実が建立したもので、南天山城の西麓にある。
【写真左】善逝寺墓地にあった多くの五輪塔群
 永禄12年(1569)、和智誠春誅殺後、南天山城にむかって追討してきた毛利軍と、戦うこともなく自害していった城代家老海田原(加板原)佐渡守をはじめとする重臣29名のものだろうか。




和智氏の系譜

 吉舎に移ってからの和智資実を初代として、以下の流れを示すと下記の通りである。
  1. 資実
  2. 師実
  3. 実勝
  4. 氏実
  5. 時実
  6. 豊実
  7. 豊広
  8. 豊郷
  9. 誠春
  10. 元郷
  11. 広世・元盛
 このうち、2代師実と、3代実勝は兄弟で、兄師実を2代目とし、3代目を弟実勝としている。初代資実や、2代師実の時代は南北朝期である。

 和智氏が備後国北部の有力領主となるのは、3代の実勝から5代の時実のときが最盛期で、このころ城下には古市など定期市などが定着していった。
【写真左】南天山城登城口付近から東麓を見る
 写真に見える川は、馬洗川で右に見える町並みは吉舎の市街地であるが、この辺りは「七日市」と呼ばれている市場であった。





和智氏の諸城

 当地吉舎町に残る山城は、現在までに確認されているのは15カ所とされている。

これらがすべて和智氏の関係したものかは断定できないが、ほとんど戦国期に築城されたとされているため、同氏の支城(又は向城)として使われていたと考えてよい。

吉舎町内の山城
 脚注(左から) 山城名 高さ 城主名 所在地(いずれも吉舎町)
  1. 南天山城 H:350m(比高120m) 城主・和智氏 大字吉舎
  2. 奥尾山城 H:370m(比高120m)   城主・安田氏(和智氏実三男・泰実) 大字安田
  3. 城山城(谷平山城) H:350m(比高90m)   城主・長井氏(安田氏家臣か) 大字上安田
  4. 古屋城 H:370m   城主・長井氏か 大字上安田
  5. 池尻城 H:300m(比高65m)  城主・長井(永井)氏・和智氏 大字知和
  6. 登実志山城 H:470m  城主・不明(平松城の一部か) 大字安田
  7. 陣山城 H:470m 城主・不明 大字安田
  8. 平松城 H:370m(比高160m) 城主・和智氏重臣(又は海田原佐渡守) 大字三玉
  9. 殿平山城 H:不明 城主・海田原(加板原)氏(和智氏家臣) 大字海田原
  10. 馬乗山城 H:236m(比高30m) 城主・福永六郎左衛門道高か 大字敷地
  11. 城山城 H:不明(比高50m) 城主不明 大字敷地
  12. 紙屋城 H:不明 城主不明 大字敷地
  13. 赤城 H:不明(比高10m) 艮(うしと)神社(館跡か) 城主・藤原正則 大字敷地
  14. 丸小山城 H:不明(比高25m) 館跡か 城主不明 大字清綱
  15. 堂元山城 H:300m前後 城主不明 大字辻
    町外の山城 

    このほか町外として和智氏に関わった山城として下記のものがある。
      1. 沼城 H:不明 城主・上原和智氏 甲山町西上原
      2. 萩原山城 H:380m(比高150m) 城主:湯谷又八郎久豊(「萩原山城」7月29日投稿参照)
      3. 千丸松城 H:不明 城主・和智長元・元氏(国留和智氏)ら 上下町国留
      寺院

       和智氏は代々神社仏閣に対し建立・寄進などを行っている。仏教については、ほとんど臨済宗であるが、和智氏の縁由を持つ僧侶は、毛利氏の恵瓊がそうであったように、同氏の政治顧問でもあり、また他国との往来を通じて外交使節としての一面も兼ねていた。
      【写真左】香積寺(こうじゃくじ)
       この寺は、和智氏直系が関わったものではないが、和智氏4代の氏実の三男・泰実が、安田郷に入って安田氏を名乗り、同氏の資俊が開基としている。恐らく時期は戦国期だろう。


       安田地区は南天山城のある吉舎から東方約4.5キロにあり、安田氏は奥尾山城(上段参照)を居城とした。





      和智氏累代の寄進・建立事績を下段に示す。
      1. 初代・資実 吉舎へ善逝寺(ぜんぜいじ)建立
      2. 2代・師実 善逝寺へ釈迦如来寄進。桧へ能引寺(のういんじ)建立
      3. 3代・実勝 清綱へ浄土寺建立
      4. 4代・氏実 吉舎へ大慈寺建立
      5. 5代・時実 大慈寺の仏殿建立。及び同心明経寄進。善逝寺再興。
      6. 6代・豊実 敷地へ最広(西光)寺建立
      7. 7代・豊広 尾道浄土寺へ不動明王画像寄進、清綱浄土寺へ阿弥陀如来寄進。同常和寺へ般若経寄進。甲奴郡梶田村八幡宮再建。赤屋(甲山町)へ文裁寺再興。
      8. 8代・豊郷 吉舎艮神社再建
      9. 9代・誠春 丸田へ永樹寺建立。大慈寺再建。清綱へ厳島神社建立。甲奴郡本郷村天神宮及び吉備津一宮再建。吉舎艮神社へ鎧・兜寄進。
      10. 10代・元郷 大慈寺仏殿再建。常和寺へ田畠・屋敷寄進

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