☆写真:但馬(兵庫県)の竹田城
◆登城日 2006年9月16日
◆史跡指定 国指定史跡
◆形態 山城(標高:353.7m)
◆築城期 永享3年(1431年)
◆築城者 太田垣光継
◆城主 太田垣氏,桑山重晴,赤松広秀
◆所在地 兵庫県朝来市和田山町竹田(虎臥山)
◆別名 虎臥城(とらふすじょう、こがじょう),安井ノ城
◆現状・遺構 天守台、石垣、曲輪、井戸跡、竪堀、模擬城門
まさに日本のマチュピチュ。日本山城の最高傑作で「天空の城」とも云われている。
雲の上に忽然と石垣群が顔を出している風景は絶景である。
そんな光景を見るためには、早朝に隣にある朝来山にのぼって、しかも下に雲海が漂っている時でないと、そうした風景は見られないとのこと。
2008年秋に、地元日本海テレビの番組で、その光景が放送された。
なお、竹田城へは、車でもかなり上まで登ることができ、駐車場(10台ぐらい)も完備されている。
この雲海の上に石垣が顔をのぞかせるような山城として考えられるのは、石見(島根)の津和野城もその可能性がありそうだが、そうした写真をまだ見たことがないので、なんともいえない。
◆この城の歴史
永享3年(1431年)「山名四天王」の一人・太田垣光継によって築かれた安井ノ城がはじまりと云われる。
戦国時代になると、山名氏の勢力が衰え、毛利氏に近付くが天正8年(1580年)但馬に侵攻した羽柴軍により落城した。その後二転三転し、秀吉により赤松広秀が入封した。
その後、広秀は朝鮮の役にも派兵し最終的に二万二千石を領した。
関ヶ原合戦で西軍に属し丹後国田辺城を攻め途中で西軍敗北の報を受け引き上げた。 因幡国鹿野城主亀井滋矩から西軍の因幡国鳥取城攻めの援軍を要請されこれに応えて鳥取城を攻略した。
この時、徳川家康は鳥取城城下町に火を放ち延焼させた罪を問い詰め、これを亀井滋矩が広秀になすりつけた為、広秀は自刃して果てる。
城は太田垣氏時代の土塁造りから羽柴・赤松時代に石垣造りに改修されたと云われる(参考:城郭放浪記より)
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