tag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post2887877576454709076..comments2023-10-04T18:51:19.197+09:00Comments on 西国の山城: 土佐・和田本城(高知県土佐郡土佐町和田字東古城)トミーhttp://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comBlogger26125tag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-48424423729274856172022-01-16T01:10:26.329+09:002022-01-16T01:10:26.329+09:00和田哲様
和田征洋と申します。
5年前の私の投稿から、ここまで繋がったことに感動しております。
G...和田哲様<br /><br />和田征洋と申します。<br />5年前の私の投稿から、ここまで繋がったことに感動しております。<br />Google Mapで座標を検索してみたところ、確かに橋がありました。<br />その先までは見られませんでしたが、必ずこの目で確認してみたいと思います。<br />地図を見ていると、さらに舞川沿いに北上したところにある弓矢八幡宮という所が有りました。<br />Google mapのコメントを見ると、なかなか気になることが書いてあったので、こちらも伺ってみたいものです。和田征洋https://www.blogger.com/profile/15785541745116063881noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-14510351030789398892022-01-09T00:32:20.271+09:002022-01-09T00:32:20.271+09:00はじめまして。札幌在住の和田哲と申します。
祖父の代まで、現在の香南市香我美町撫川(和田の谷の近く...はじめまして。札幌在住の和田哲と申します。<br /><br />祖父の代まで、現在の香南市香我美町撫川(和田の谷の近く)の県道51号沿いに住んでいたようで、今も「和田九平太」などの墓石があります。10年ほど前に訪れたことがありました。<br /><br />県道から脇道に入ると「和田の谷橋」という橋(33°38'08.7"N 133°51'45.3"E)があり、渡って右の方にしばらく行くと「和田神社」がありました。これがお探しの神社ではないでしょうか?和田哲https://www.blogger.com/profile/18152434862393014095noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-25098415756833344612021-06-15T17:41:28.137+09:002021-06-15T17:41:28.137+09:00こんにちは。土佐の和田家の歴史を知ることができ嬉しいです。愛媛伊予の和田家のルーツも詳しく知りたいと...こんにちは。土佐の和田家の歴史を知ることができ嬉しいです。愛媛伊予の和田家のルーツも詳しく知りたいと思い、2018年発刊された「和田義盛の宝剣」という本を読んでみることにしました。和田合戦の後、和田一族の残党が各地に逃れて土着したという伝承が全国各地に見受けられ、とりわけ由比ガ浜から安房に逃れ行方不明と伝わる三男の朝比奈義秀の伝承が多い気がします。義秀関連の伝承は例えば和歌山県太地町の捕鯨業の創始者和田頼元が義秀の末裔といわれ、他にも群馬県長野原町の墓や日光の古山城、長野県大滝村の滝越集落・秋田市など数多いです。そうした中で、大分県竹田市植木鬼田にある義盛神社(盛八幡社)の由緒にも、三男朝日奈義秀の末裔がこの地に土着し八幡社を建てたと伝わっていますが、この神社に祀られているのは和田義盛と河野吉次郎、上貢久則の三士とあり、天文年間の石碑が建てられているので、豊後竹田の和田一族は伊予の河野氏と関りがあるのかと気になっています。大分も愛媛も船で佐賀関を通れば近いですし。全国の和田一族に伝わる伝承や歴史を集めてみると、いろんなところで繋がっていそうでとても興味深いですね。Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/00335452121887885512noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-22896672965397642702021-04-25T22:15:23.917+09:002021-04-25T22:15:23.917+09:00拝復
大変貴重な資料を公開していただきありがとうございます。
義則(義直)が当地に入ったあと、長...拝復<br /> 大変貴重な資料を公開していただきありがとうございます。<br /> 義則(義直)が当地に入ったあと、長男を後継ぎにせず、三男・高宗に家督を譲ったことなど興味深いですね。<br /> また、平時の住まいが和田城の南側斜面である高野であったことから、主だった一族の墓はこの高野に眠っているとのこと。<br /> 現地の石碑に撰文された和田栄進氏がもともと高野におられたことを考えると、栄進氏は、和田氏直系の方だったのでしょう。<br /><br />トミー 拝。<br /> トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-24442757423398569962021-04-20T11:02:53.532+09:002021-04-20T11:02:53.532+09:00ご参考
戦前に”高知県教育会発行の土佐名家系譜”(だったと思います)にある”和田氏”に関する部分コピ...ご参考<br />戦前に”高知県教育会発行の土佐名家系譜”(だったと思います)にある”和田氏”に関する部分コピーを99歳の叔母より以前受領しましたのでそのリンクを貼り付けておきます。<br />ご参考になれば幸いです。<br />https://drive.google.com/file/d/1A6m9RaG_QKq4Z0aytVKAiCxFTLz35n0n/view?usp=sharingbabyboomerhttps://www.blogger.com/profile/12048523729636454839noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-53556624103744414332021-04-20T09:42:07.704+09:002021-04-20T09:42:07.704+09:00拝復 御笑覧いただきありがとうございます。
和田氏にかかわる人々からこれほど多くのコメントをいただ...拝復 御笑覧いただきありがとうございます。<br /> 和田氏にかかわる人々からこれほど多くのコメントをいただくとは思ってもみませんでした。<br /> 歴史、なかんずくルーツなどは、文献上の記録だけでなく、直接我が子や孫に口伝していく行為が最も重みをもつものでしょう。歳をとっていくと次第に先祖への感謝の気持ちが深まります。<br /> <br />トミー拝トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-47982421833533837692021-04-20T09:29:42.361+09:002021-04-20T09:29:42.361+09:00拝復 返事が遅れました。御笑覧いただきありがとうございます。土佐和田城については管理人にとっても特別...拝復 返事が遅れました。御笑覧いただきありがとうございます。土佐和田城については管理人にとっても特別な印象が残っています。今はコロナで県外にいかれませんが、またいつか登城したいものです。来年の大河ドラマでどうやら和田義盛公が登場するようですのでとても楽しみにしています。<br />トミー 拝トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-53561602503610986162021-02-03T18:00:58.378+09:002021-02-03T18:00:58.378+09:00はじめまして。大阪在住の《和田》です。
大変興味深く拝見させて頂きました。
私の父は香美郡夜須町仲...はじめまして。大阪在住の《和田》です。<br />大変興味深く拝見させて頂きました。<br /><br />私の父は香美郡夜須町仲木屋の出身で、<br />家紋は丸に三つ引きです。高知では神職の事を《太夫(たゆう)》と言うのですが、曽祖父、祖父は太夫として暮らしていた様です。近くに《和田の谷》があるので、もしやとは思っていたのですが。<br />先祖も『源平合戦で負けて山に逃げた』と思っていたのですが、こんな深い事情があるとは思いませんでした。因みに母は奈良の吉野水分神社の近くの出身です。少し鳥肌が立ちました。<br /><br />お陰で、改めて先祖に興味を持つ事が出来ました。<br />ありがとうございました。Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/04773118856403939198noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-25918282332372296992021-01-18T11:10:01.650+09:002021-01-18T11:10:01.650+09:00先にコメントを残させて頂きました者です。
どなたか、助馬、今朝盛、義経(綱?)、いずれかに関して、...先にコメントを残させて頂きました者です。<br /><br />どなたか、助馬、今朝盛、義経(綱?)、いずれかに関して、ご存知の方がおられましたら、情報を頂けませんでしょうか?<br /><br />よろしくお願いします。Miyabihttps://www.blogger.com/profile/17241661974721243456noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-39341577964629387542019-06-08T11:32:52.121+09:002019-06-08T11:32:52.121+09:00このコメントは投稿者によって削除されました。和田https://www.blogger.com/profile/14199201200183987700noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-24436724975666071782019-06-08T11:32:50.848+09:002019-06-08T11:32:50.848+09:00初めまして。
トミーさんの記事を参考にようやく土佐和田城跡に行くことが出来ました。
昔、祖母、父か...初めまして。<br />トミーさんの記事を参考にようやく土佐和田城跡に行くことが出来ました。<br /><br />昔、祖母、父から「ご先祖様は酷い亡くなり方をした」<br />とだけ聞かされていました。<br /><br />祖父、祖母の家には土佐和田城跡の写真が飾られており子供ながら、こんな場所があるんだな程度にしか思っておりませんでした。<br /><br />自分も30歳を過ぎ、自分のルーツを知りたくなり色々と調べました。<br /><br />調べて行くうちに和田義盛にたどり着き生き残った和田一族が香川を経由し最終的に高知に逃れた事を知り興味がわきました。<br /><br />酷い亡くなり方とは、和田合戦での三浦氏の裏切りや和田家の滅亡の事だったんだなと話が繋がりました。<br /><br />結果的には和田義盛は北条に破れてしまう事になるのですが和田合戦に勝利していたら今の自分も存在も無い訳で…<br />破れたかが故に北条幕府から終われ最終的にこの地に逃れ、子孫繁栄に至って今の自分があると、ご先祖に感謝をし手を合わせました。<br /><br />登城し土佐和田城跡石碑には3種(2種)の家紋があり。<br /><br />丸に三つ引き<br />丸に木瓜(神社は丸に四方木瓜)<br />の家紋がありますが、祖父のお墓に刻まれた同じ家紋や、寄付者の欄には祖父の名前があり自分のルーツを感じる事が出来ました。<br /><br />この経験はいつか子、孫へ繋げていきたいと思います。<br />自分と同じ年代になる頃には私と同じく自分のルーツを探す旅に出て欲しい物と思いました。<br /><br />いつか、私も末裔として土佐和田城跡に寄付金を贈りたく思います。<br /><br />祖父の家は詳しく言えませんが高知県にあります。<br />また訪れたく思います。和田https://www.blogger.com/profile/14199201200183987700noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-51703497089148925212018-08-12T15:55:17.414+09:002018-08-12T15:55:17.414+09:00高知に帰る途中、高岡の辺りで西和田という地名をカーナビで発見し、その近くに義盛山という山がありました...高知に帰る途中、高岡の辺りで西和田という地名をカーナビで発見し、その近くに義盛山という山がありました。<br />おそらく和田義盛がその由来なのでしょうが、どなたか詳しい話をご存知ではないでしょうか?和田征洋https://www.blogger.com/profile/15785541745116063881noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-82907371489001659872018-07-15T20:23:35.520+09:002018-07-15T20:23:35.520+09:00最初のコメントを投稿させていただいた者です。
しばらく見ていなかったのですが、皆様の興味深いコメント...最初のコメントを投稿させていただいた者です。<br />しばらく見ていなかったのですが、皆様の興味深いコメントを拝見し、一層我が家のルーツに興味が湧いてしました。<br />お盆に高知に行くので、帰りにまずは和田本城を訪問できればと考えております。和田征洋https://www.blogger.com/profile/15785541745116063881noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-25164153052200524452018-06-17T20:39:19.892+09:002018-06-17T20:39:19.892+09:00拝復 tkaz様 返事が遅くなりました。コメントありがとうございます。
和田義盛四男・義直の土佐下向...拝復 tkaz様 返事が遅くなりました。コメントありがとうございます。<br />和田義盛四男・義直の土佐下向によって、子孫がその後当地(土佐)にどれほどの規模で繁栄していったのか詳細なことは分かりません。<br />ただ、想像するに和田一族は幕府から追われる立場であったわけですから、少なくとも鎌倉幕府が倒れるまでは一族の結束力は強く、土佐入国後、本城といわれる東城をはじめ、西城さらにはその中心地となる位置に和田一族を祀る立派な子守神社(奈良吉野水分神社)を建立していますので、南北朝期以降はかなり隆盛を誇っていったものと思われます。<br /><br />トミー 拝<br />トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-13257961030996909772018-05-25T07:44:09.835+09:002018-05-25T07:44:09.835+09:00はじめて投稿いたします。
以前からこのことについて大変興味があり以前から調べていまして、苗字の分布図...はじめて投稿いたします。<br />以前からこのことについて大変興味があり以前から調べていまして、苗字の分布図などを見ますと、全国的に見ても、他の和田氏ゆかりの地を見てもとりわけ高知県には和田姓の方はかなりの数の方が住まれております。もちろん全て三浦和田氏との関係のあるとは限りませんがそれらしき縁となる地名がないということ等もあり、サイトの方を読ませていただいた限りでは人数的にもさほど多くの方が土佐逃れてきたとは思えないのですが、先ほどの数などを見ましたところこれ以上のかなりの多数の一族の方が後からも入ってきたと思われますしょうか。 それとも他の地域よりより繁栄したと考えた方がよろしいでしょうか。tkazhttps://www.blogger.com/profile/11512651953743034402noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-66301532715544948912018-05-24T09:49:59.209+09:002018-05-24T09:49:59.209+09:00このコメントは投稿者によって削除されました。tkazhttps://www.blogger.com/profile/11512651953743034402noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-6228541843047897352018-02-12T16:40:35.959+09:002018-02-12T16:40:35.959+09:00横から失礼します。
Unknownさんは、夜須にお住まいですか?
お話に興味が沸き、偶々香南市に友人...横から失礼します。<br />Unknownさんは、夜須にお住まいですか?<br />お話に興味が沸き、偶々香南市に友人がいるので聞いてみました。和田の谷、香南市香我美町舞川の大蛇の藤と呼ばれる藤の花の綺麗なところらしいです。和田の谷は既にお分かりで、神社だけ不明ということで余計な情報であったかもしれません。<br /><br />処で、私も和田です。トミーさんが書いていただいた土佐村(現在の土佐町)和田の近く、土佐町・地蔵寺出身です。昔、親からこの地・和田がご先祖様の地と聞かされておりました。小学生まで地蔵寺にいました。和田は近隣であるのですが、子供の足でには遠く訪れることが無いまま関東で50年になりました。今度、高知に行った際は是非訪ねようと思う次第です。また大川村の和田さんがどうも本家筋らしいのでその地も訪れ色々情報を聞きたいと思っております。70歳近い齢になり、興味を抱いてきた次第です。babyboomerhttps://www.blogger.com/profile/12048523729636454839noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-37537753685072929882017-11-02T20:17:55.050+09:002017-11-02T20:17:55.050+09:00拝復 コメントありがとうございました。返事が遅くなりました。
三浦和田氏と河野家臣和田氏との関係の...拝復 コメントありがとうございました。返事が遅くなりました。<br /><br />三浦和田氏と河野家臣和田氏との関係の有無についてのお尋ねですが、実は本稿でとりあげた土佐和田氏を調べていく際、伊予の和田氏(河野氏家臣)との関連も気になっていました。しかし、今のところ両氏との関係をうかがわせる具体的な史料ついては、管理人も耳目に触れていないためよく分かりません。そして、三浦和田氏と河野家臣和田氏との関連も分かりません。<br /> 因みに、伊予岩伽羅城の城主・和田通興の祖父通俊が文献史料に初めて現れるのが、天文3年(1534)です。通俊、通興とその名が示す通り、代々河野氏がつけていた「通」の名を用いていることから、河野氏家臣団の中でも重要な位置を占めていたと思われます。<br /><br /> また、岩伽羅城の築城期は確定していないものの、南北朝期といわれております。従って、伊予和田氏は河野通盛の代(『湯築城』の稿参照)にその臣下となったと思われます。<br /><br />また、これも推測の域を出ないのですが、そもそも土佐和田氏が和田合戦に破れ、土佐に逃れる前、讃岐(和田浜)に7年間在住していますが、この間に承久の乱という大変に大きな動乱が起きます。このとき、同氏から離脱し河野氏に与した者がいる可能性も十分考えられます。<br /><br />トミー 拝<br />トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-60687631124810458892017-10-28T00:07:44.207+09:002017-10-28T00:07:44.207+09:00愛媛に本家がある和田の分家の者です。
最近和田家を調べ始めたのですが、私の先祖、本家は河野家臣の和田...愛媛に本家がある和田の分家の者です。<br />最近和田家を調べ始めたのですが、私の先祖、本家は河野家臣の和田通興だった様です。<br />和田通興は岩伽羅城主だった様ですが、その末裔である私の先祖が岩伽羅山に和田神社という和田家の守護神を祀った様です。<br />お探しの和田神社と関係があれば何かのお役に立てるかと思いコメントさせて頂きました。<br /><br />無知でお恥ずかしいのですが、三浦和田氏と河野家臣の和田は何か縁があるのか調べているところです。何かご存知でしたら教えて頂けると有難いです。<br />(東京都在住の和田より)ms.whttps://www.blogger.com/profile/00891920684155778613noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-78483011965978363932017-06-10T22:11:05.262+09:002017-06-10T22:11:05.262+09:00拝復 コメントありがとうございます。大川村に土佐和田家の本家があるとのこと。土佐町よりさらに奥に入り...拝復 コメントありがとうございます。大川村に土佐和田家の本家があるとのこと。土佐町よりさらに奥に入り、伊予(愛媛県)と隣接した村ですね。この大川村にも大薮城という山城が記録されており、当城も土佐和田氏もしくは、伊予和田氏との関連がうかがわれます。<br /> さて、和田義直の件ですが、撰文された和田栄進氏が出典元を明らかにされていないため、真偽のほどはわかりません。ただ、義直の別名を義則としている段階で何らかの齟齬が生じたのかもしれません。しかし、仮に義直でなかったとしても、義盛の嫡流が土佐に下向したことは間違いないと思われます。和田本城に佇み「和田義盛後裔會」の碑文を目にしたとき、大げさに言えば、800年前の出来事が時空を超えて、脳裏に蘇りました。土佐・和田氏にかかわる人たちによって、今後ともその歴史を忘れることなく、語り継いでいってもらいたいものです。<br /> トミー 拝トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-91628276238629289462017-06-07T21:48:32.934+09:002017-06-07T21:48:32.934+09:00はじめまして、三浦和田氏の末裔で和田家の歴史について色々と調べています。
トミーさんの記事、参考にさ...はじめまして、三浦和田氏の末裔で和田家の歴史について色々と調べています。<br />トミーさんの記事、参考にさせて頂いています。<br /><br />私は私のルーツを探るために4年前に大川村の土佐和田家の本家に伺わせて頂きました。<br />そこで家系図を見せて頂いたのですが、少なくとも私の家系は和田義茂の家系みたいです。<br />確かに和田義盛4男の和田義直は、和田合戦で戦死しているようなので、義茂の子孫というのは合点がいくのですが。。<br />記事に書かれている石碑に刻まれている、和田義直が一族を率いて~という事に関してはハテナ?なので混乱しています。。<br />何かご存知であれば教えて頂きたいです。Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/10983113508403173734noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-84090258044822452952017-06-07T21:22:57.286+09:002017-06-07T21:22:57.286+09:00このコメントは投稿者によって削除されました。Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/10983113508403173734noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-45358515187338396552017-06-07T11:41:45.291+09:002017-06-07T11:41:45.291+09:00拝復 コメントありがとうございます。土佐・和田城や和田義盛公にかかわる方々からこのような情報をいただ...拝復 コメントありがとうございます。土佐・和田城や和田義盛公にかかわる方々からこのような情報をいただくと名状しがたい感慨を持ちます。「西国の山城」を探訪していくと、築城者の出自が東国武士である場合がしばしば見受けられます。鎌倉開幕期や、承久の乱後も合わせると、一説には50万人前後の人々が西国に下向(移住)したといわれています。そして恩賞とはいえ、山岳地方にその土地を得たものに待っていたのは、入植者として厳しい自然環境の中での開拓作業だったようです。特に四国山中に本拠を構えた一族は、のちに山岳武士として独特の歩みを刻んだようです。トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-32648980602489492442017-06-06T09:04:51.850+09:002017-06-06T09:04:51.850+09:00母の実家が早明浦ダムのそばにあり、母の旧姓が和田です。先祖が落ち武者で、生き延びるために、こんな田舎...母の実家が早明浦ダムのそばにあり、母の旧姓が和田です。先祖が落ち武者で、生き延びるために、こんな田舎に辿り着き住みついたのだと聞かさせていました。和田家の墓は、早明浦ダムから狭い道を通り、少々上の方に上がって行った場所にありました。ちょうど和田地区といわれるあたりになると思います。子供の頃の記憶を辿ると、舗装されていない崖のような急な坂を登って、墓参りに行っていたのを覚えています。祖父の名前は、和田xx盛と申し、ご先祖から一文字頂いたのではなかろうかと思います。<br />和田家の事を、どんなに小さい事でも構いませんから、どんどん情報をシェアして頂けると大変嬉しいです。Miyabihttps://www.blogger.com/profile/17241661974721243456noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1591244106002034989.post-81210499762163898342017-06-04T18:30:15.179+09:002017-06-04T18:30:15.179+09:00コメントありがとうございます。
和田家の末裔とのこと。また、土佐・和田城の所在地和田町より離れた夜...コメントありがとうございます。<br /> 和田家の末裔とのこと。また、土佐・和田城の所在地和田町より離れた夜須に御先祖の墓所があるということ。そして世を忍んで和田姓を定石という姓にしていたことなど興味深いですね。<br />土佐・和田氏はブログでも紹介しているように、戦国期に至ると長宗我部氏の臣下として活躍しています。おそらく夜須に移住したご先祖は、この長宗我部氏の伸張期に当地に移ったのかもしれませんね。また、和田氏が「落ち延びた」というのは、織豊期における秀吉の四国統一の際、長宗我部氏が敗れますが、そのとき姓を一時的に変えた可能性もあるかもしれませんね。ご先祖が崇拝した和田の谷にある「和田神社」、みつかるといいですね。<br /> トミー拝トミーhttps://www.blogger.com/profile/10333402351347889656noreply@blogger.com